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※ヒューマンドキュメントストーリー【2】

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※A Certain Human Story  『 That time Those days 』

Part 1、 《 笑    子  》  ・・餓鬼のあやまち・  (2) 


夏の夕べのある日
勝也の家の隣に住む広司が突然訪ねて来た

広司は希望した大手企業の就職試験に失敗し精神がいらだってか職にも付かず原因はさだかでないが暫らくして精神病院に入院したと噂で耳にしていた
庭で立ったままだったが少したってから涼み台に腰掛けた
意図や目的のない話しを
途切れながら
どれとはなしに
一時間ほど話した・・
隣同士だが仲良しという間柄でもなく遊び仲間でもなかった
広司は誰と親しくて遊んでいたのだろう
小学校の途中の時期に遠い親戚なのか
突然引っ越してきて南隣の家を借り世話になっていた
南隣の家と土地の持ち主は50代の三姉妹だ
『ほうろく屋』と呼ばれる家だ
が、こぞって誰一人結婚もせず暮らしていた
そのせいかある宗教に心髄していた

南隣の家は以前営んでいた瓦の白地製造建屋の跡で300坪ほどの土地だ
建屋の中は空っぽで使われない道具類だけが置かれていた
道を挟んだ西側には250坪ほどの土地で母屋を構え
地つづきに畑が450坪と合わせると900坪ほど持っていた

つづくその隣が勝也の父親の本屋(在所)で同じように1200坪ほど持っていた
本屋は他に田んぼや畑、アパートなど別に1500坪も所有していた
勝也の父親は二人兄弟の弟の方だ
その兄は芸者遊びばかりで家に寄りつかなかった
弟の父が家業を継ぎ汗水たらし働いた
地下に埋もれていた粘土を掘り当て
手広くコンロづくりで財を成していった
運送の道具は馬と荷車だ
馬が好きで地方の草競馬にも出していた
その名を「千歳号」と名付けていた
勝也が小学校低学年のころまで千歳号は生き
馬に跨り野原に散歩に出かけた
脳裏に浮かび大人になるまで馬刺しが食えなかった


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戦争のさなか
召集令状の赤紙が届き
太平洋戦争の陸軍配属で分隊長として参戦した
その最中にその親が亡くなった
遊んでいた兄はそれを機会に戻ってきた
財産の全部を自分のものにした
敗戦により父は無事に戻ってきた
兄から何も分与されず新屋(分家)を自力で建てた
数年は兄弟の仲たがいがつづいた
兄の体が蝕まれ自分の死を悟る数年前まで・・

広司の家は父親が大きな借金をして機械設備を購入し
一人で鉄工所を始めていたが
母親は闇米を自転車の荷台に積んで売りにいっていた
そんな広司が何故突然きて
何が話したかったのか勝也にはわからず複雑な気持ちだった
広司は勝也にライバル心を抱き意識過剰で神経過敏になっていたようだ

その後、再びと広司の顔をみることは永遠に無く
暫らく家でゴロゴロしていたが
精神病院に入り数年後には病棟で死んだときいた
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その時、勝也は思った
あの日訪ねてきたのは
勝也を求め
仲のよい友達であり
親友になりたかったのでは・・

1962年(昭和37年)
楽しいこと嬉しい事に反し
一方で勝也の心に紐解けないわだかまりができていった
やがて夏が終わり秋を迎え年末に差し掛かるころ
卒業できる3年先を考えると虚しくなっていた
勝也は夜間の定時制高校をやめてしまった
笑子に何の相談もせず・・
そんな勝也を気遣ってか
仕事を終えた後の夜は笑子とのデイトの日々がつづいた
飽きもせず毎晩海辺で潮風に吹かれ時を過ごした
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汐の匂いは心を癒してくれる

夜の波の音が耳ざわりよくメロディを奏でてくれる
陽の落ちた夜の海にキラッと
波間に散る光りが
心の灯火をソーッと優しげにみ守ってくれる
笑子は勝也に心を捧げていた

毎週の日曜日は勝也の一番上の初美姉ちゃんから貰うタダの入場券で
好きな映画を二人で観にいった
勝也は物心が付いた頃から映画を良く観ていた
一番最初の記憶は嵐勘十郎と美空ひばりの鞍馬天狗や三益愛子と松島トモ子の母物語だ
高田浩吉の股旅物、伴淳三郎の二等兵物語、柳家金五郎や古川ロッパ、花菱アチャ子、エノケンのお笑いもの佐田啓二、岸恵子、山本富士子の恋愛ものなどを小学生時代から観ていた
映画産業が華やかになりかかった時期だ

一週間単位で映画は変わり(洋画館は長かった)
邦画では東映、大映、松竹、東宝、新東宝、日活と製作会社単位で新作映画の上映を競い
映画館も数多くあり休日となると空席などなく立ち見の時は辛かった
歌も小学校時代ラジオから流れるメロディとレコードの蓄音機など歌詞本で殆んど覚え
美空ひばり、三橋美智也、春日八郎、田端義男、神部一郎、フランク永井、大津美子らトップの座に君臨していた歌手の歌まで知っていた
中学に入った頃テレビが買われ新国劇や落語、浪花節まで
興味の範囲を広げ
中学二年の時には部品を集め自分でラジオをつくっていた
一方笑子は全てが受身のタイプでそんな勝也に感化されていった

秋の季節になったころ会社の慰安旅行が1泊2日で行われ、朝一で新川北駅に一時集合し電車に乗って名古屋駅まで行きそこで全員集合し貸切電車で熱海に行った

笑子は2駅ほど先の大浜駅から乗っていたはずだが、混雑していて二人が会うことはなかった
名古屋からも電車の両は職場別に区分けされここでも笑子と顔を会わせることができなかった
互いに始めての大集団の慰安旅行で知識や要領も何も知らずわからず勝手な身動きが出来ないでいた
熱海での宴会と夜の部屋割りもやはり職場別に分かれ行われた
数百人と大所帯の貸切団体旅行だからそれもやむを得ないことだ
現地からの観光バスも当然異なった
笑子たちは女同士三人の友達は同じように合っていて行動することができていた
勝也の部屋は同期の建治とだいぶ年上の先輩なのにおとなしそうで面倒見の良い柴崎さんたちと一緒で
熱海という温泉地の旅情を[お宮と貫一]の場所に行ったりし十分満喫することができた

そんな平穏な日々を送る中やがて勝也は同級生で町にたむろして遊ぶ男達と付き合うようになっていった
喧嘩が強くて親分肌人当たりと面倒みの良い中心格の重田に憧れを抱いていた
重田は大きな材木家を営む後妻の子供だ
質屋の倅の名倉、満州生まれだという小木曽忠之、大棚の家の倅小島幸男らいつも顔を出す数人の仲間が増えていった
駅前に出来た「山田や」でコーヒーを飲んだりラーメンを食べたり近くの「大福食堂」でいつも中華そばを食べながらたあいもない話に夢中になって夜の時間を過ごした
重田が住み込みで働いているという谷刈市の国鉄側(JR)の駅の南口を出て直ぐ近くの自動車整備工場にまで電車に乗って夜も遊びにも行くようになった
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笑子はそれでも勝也に何も言わなかった
勝也が誘い声をかけない限り
どこまでも辛抱強く待つタイプの娘だった

それから暫らくして勝也は 7kmほど離れた隣の尾西市にある「近野道場」に柔道を習いに数日自転車で通いだした
砂利道で静かで暗闇の尾西まで毎日夜に通うには相当の根気がいった
数回通ったが結局長つづきせずそれも止めてしまった
ギターに関心を持ってギターも買った
ギター教室に通って何度も覚えようとしたがそれも思いだけで教室に通うことはなかった
教習本を何冊も買い込み独学でマスターしようと励んだがこのことにもやはり挫折した

こんな日々を過ごしてゆく中で笑子との二人の付き合いは
次第に自然消滅の彩どりをなしていった
どちらからも ” 別れよう ” だとか 
” 付き合うのをやめよう ” だとか
一言も言っていなかった

職場の遠くで顔は見るが声をかけなくなった

勝也の同級生で床屋の娘《津也子》は勝也に恋焦がれていた 
女性漫画の主人公のような
瞳の大きな二重瞼で色白の可愛い娘だ
家政婦として上京し東京の目黒で住み込みとして働いていた
どうして東京にいってしまったのかわからない
勝也は住所を友達から聞きだし
冬を迎える頃、東京の津也子に手紙を出した
「何か良い仕事はないか探して欲しい」 と頼んだ
津也子からの返事はすぐにきた
「仕事は何とかなる」 との返信が来た
私がなんとか面倒をみるから

「すぐにきて」 とも言ってきた
勝也は東京に出ようか真剣に悩みあぐねた・・
決心を固めバッグ1つを持って名古屋駅まで行った
東京行き便の時刻が刻々と迫ってきる
しかし乗り込むことがとうとう出来なかった
列車は駅を後にし発車して行った・・
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構内を出ると
冬空の凍てつくような寒さが
一層身に染み傷心の身に突き刺さるようにこたえた

一年が過ぎようかという春のころ
勝也は勤めていた会社も辞めた

笑子には何も言わなかった
それでも笑子は勝也の思う通りに従った
勝也の気に触るようなことは
「あなたを信じてるから」
「信頼してるし 尊敬してるから」 

「あなたに言えるような人間じゃないから」
「意見や指図じみたことなんて」
「私に言えるわけがないじゃん」 と言って芯には触れず

笑子は大きな心根を持ったそんな娘だった

勝也に仕事の内容や学校に何ら不満はなかった
まわりを取り巻く職場の諸先輩の人々も優しく温かで良い人ばかりだった
室谷喬さん、鈴木昭子さん、丹羽運哲さん、板倉さん、柴崎さん、佐代ちゃん、高ちゃんと・・
けど、何もかも描いていたものとは何かが喰い違がいズレている
うら若き少年が頭に描いた
みしえぬ夢の理想と現実とのギャップとハザマ
日々目先の充実感は有ったが
自分の人生に挑むこととは何か違う気がして
納得できる満足感を得る事ができないでいた
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自分の既成の道を自らの手でどんどん崩し壊していく・・
夢が大きすぎるのか
現実を知らなさ過ぎるのか
馬鹿だ愚かだ浅はかだと言われようが
そんなことはどうでもいい
儚ない人生にはしたくなかった
二度と訪れない自分の人生だからこそ
悔やみたくなかった
見えない何かを求め探そうと足掻いた
求めているものの姿、形がどうしてもみえない
こんなに求めているのに
こんなに探しているのに
追うものがとらえられない・・・
はがゆい
もどかしい
若いからこそ焦った
得体の知れない果てしない夢だが若さゆえか無軌道で無謀だ
答えが見つからない靄に包まれたが、もがいて探し出し見つけだそうと一人それでもまだ足掻ぎつづけた
そんなある日、悪友達との恐喝暴行の悪さが引っかかり警察の白いジープが家の前に停まり勝也は夕方補導され署に連行された

勝也は打ちひしがれた
これで「俺の人生は終わってしまった」
と悔やみ自己反省と自己嫌悪に陥った
一少年の奈落の底に落ちてしまった苦悩の叫びと反省をしたため切実な思いを込めて書いた手記を新聞社に投稿しようとした
が、それも結局は投稿をしなかった
モヤモヤとしたままの気持ちでぶらぶらと仕事もせず
梅雨時になり二ヶ月ほどが過ぎ去ろうとし
また7月の暑い夏を迎えようとしていた
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笑子は夜、洋裁学校に通うようになっていた

何も知らず連絡のない勝也を

心静かに毎日待っていた・・









*十七才のこの胸に(西郷輝彦)昭和39年


        十七才のこの胸に(西郷輝彦)昭和39年 - YouTube



















* **>※『 あの時 ・ あの頃 』Part 1、《笑 子》(2) * E N D *

Continued on the following page. ・・・




















  by raymirainya | 2006-09-17 20:51 | あの時あの頃1-2

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