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※ヒューマンドキュメントストーリー【18】

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※A Certain Human Story  『 That time Those days 』

Part 8、 《・・・・・・・ ・・・・・・  》 ・・新たなる息吹き・  (1) 


・・・1970年(昭和45年)・・・
・・ボーっとして
去年の結婚一周年記念で
思わぬプレゼントをされたことを思い出していた、、、
弥生がもらったという
店の取引先
大丸衣装店からの1泊2日の宿泊旅行チケットだ
店の休みで平日の月、火にかけて
鳥羽小涌園ホテル宿泊の、伊勢湾フェリーの旅
勝也は有給休暇を取った
紺色のサイドパーツに割れた薄いストライブのかかった上着にクリーム色のスラックスに身をつつんだ
弥生は、勝也好みのピンクのルージュを唇に塗り
ライトイエローに白色の花柄をあしらった明るい雰囲気のファッショナブルなカシミア生地の洋服を着た
結婚して、はじめての海上をわたる宿泊旅行
短い一年で、色んな出来事と葛藤があった
が、全てを忘れ飛ぶように心が弾んだ
当日が来た
指定されたバスの集合場所まで行き
R247号で知多半島の内海通りを武豊、河和、美浜、大井と通り抜け
師崎から鳥羽までフェリーで渡り、鳥羽の小涌園ホテルで1泊し、鳥羽から伊良湖岬までフェリーで渡る伊勢湾一周フェリーの旅をした

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師崎港を出るとすぐ目の前に
蛸で有名な日間賀島が見え
つづいて直ぐに隣り合う篠島がみえる
1時間少しで来られる太井や師崎、日間賀島は
安くて新鮮な海鮮料理を食べに来る馴染みのところだ
師崎から鳥羽までフェリーで約二時間弱かかった
安楽島にある鳥羽の小涌園ホテルは
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岬の先端に建つ白いホテルで
名が通っているだけあって
テラスからも行者の湯を使っている展望風呂からも
絶好の鳥羽湾が眺望でき
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伊勢湾の幸を贅沢に使った
デラックス和洋食もすばらしく
旅ならではの食の堪能を味わい十分な景観も満喫することができた
鳥羽からフェリーに乗り
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デッキから眺めると、小さく遠くに日間賀島、篠島が見える
反対側に目をやると、神島の島影がかなり近くに大きく見えた
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神島は、三島由紀夫の小説「潮騒」で、1954年(昭和29年)に原作が出版され舞台となった島《歌島》で、鳥羽市に属している

東宝でその年の10月に映画化され、初江役を青山京子が演じ(小林旭が美空ひばりと別れた後の妻)久保明、三船敏郎、加東大介、東野英治郎、沢村貞子らの豪華な出演陣で話題になった
その後、1964年(昭和39年)には日活で吉永小百合も演じている
名作ゆえに、その後も時代に合ったりメイク版は製作されつづけていくだろう
昭和29年の春に出版ということは、逆算すれば少なくとも前年かそれ以前に三島由紀夫が神島に滞在し、出筆していたことになる
身長163cmの三島由紀夫が 28~29才のころだ
三島由紀夫の本名は平岡公威といい1925年1月14日(大正14年)、東京市四谷区(現新宿区)に農林省の高級官吏の父・梓と母・倭文重の長男として生まれ幼少時は祖母に溺愛されて育ったが、病弱で読書に親しみ、童話や少年文学に熱中していたという
学習院中等科で文芸部に入部し処女短編「酸模」を校友会雑誌に発表したり、さかんに習作を試み、「平岡青城」名で俳句や詩歌を投稿して16才の時、「花ざかりの森」が「文芸文化」誌に掲載され注目を浴び初めて三島由紀夫というペンネームを用いたが、学生の身で同人誌に名前を出すのを憚ったのと、作家になることを反対する父に内緒にするためだったといわれている

学習院高等科を首席で卒業し、天皇陛下より銀時計を拝受して父の命令で東京帝国大学法学部に入学した逸材だ
1947年に東京帝国大学を卒業し高等文官試験に合格し翌年大蔵省に勤務したが、創作と勤めの二重生活に耐えきれず退職し、講演、座談会、小説執筆と、その文学生活はかなり多忙となって依頼を受けた長編が『仮面の告白』で1949年のベストセラーとなって、一躍スターの座に躍り出た
1950年に目黒区緑ケ丘に転居し作家活動は収穫期に入った感があったが、この頃に傾倒していたモーリヤックの影響を受けた『愛の渇き』や、『青の時代』などの作品を書いている
1951年暮れ、自己改造の必要性を感じてか、朝日新聞特別通信員の資格で世界一周の旅に出てギリシヤでは、自己嫌悪と孤独を癒やし、ニーチェ流の健康の意志が呼びさまされたといわれた
このギリシヤ体験の小説化を構想し1954年、「ダフニスとクロエ」に倣い潮騒を制作し第一回新潮社文学賞を受賞して、ベストセラーになって映画化され一層の人気を集めたが、三島自身はその通俗的な成功を冷ややかに受け取っていたという
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勝也が小学校に入学して間もないころでもある
長崎で生まれ育った不思議なひと、丸山明宏(美輪明宏)との摩訶不思議な噂が巷の世間にはびこっていた
真実は当事者にしかわからないことだが、三島由紀夫にはおよそ文学者とは異なる哲学者のような知的さと孤独感、反して血生ぐさく闘う戦士のような威圧感と独特の野性味おびた凄みと鋭さとを異様に感じる

潮騒は、文明に毒されない純朴な男女の愛を描いた歌島が舞台だ
:::家計を支える18才の漁師、久保新治は
島に戻ってきた少女、宮田初江に恋をする
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初江は、資産家、宮田家の跡取娘
島の有力者の息子、安夫が婿になるという噂を聞き、新治は心を悩ます
主人公の新治の弟が映画館の椅子を「まるで天皇サマの椅子のようだ」と言ったり、観的哨跡の描写があったり、人々にとって戦争の記憶がまだ昨日のことのように感じられていた時期で同時に日本が高度経済成長期に突入する夜明けを迎える前夜でもある
恋敵の安夫や千代子の都会に接した経験による屈折感は、陰の部分が反映され、逆に新治の教養を美徳としない実直な人物像は、コンプレックスに裏打ちされた切実な憧憬の平和な島で育ったなら、風土になんの疑いも持たず初江のような可愛い娘が近くにいたら、仕事に精を出し一緒に暮らしたいと思うだろう

教養が無くても実直な人生を歩もうとしたのでは、、、、、、、
小説の最後で海岸で愛し合う二人が頬を触れあって見たものは、歌島の生活とは気が遠くなるほど距離がある大資本からなる西洋の巨船だ
それは、未知の資本主義的価値観と
教養を必要とする世界観を暗示しているかのようだ
:::物語はここで終わり
その先は描かれていない、、、
新治は一等航海士として成功した後
世界を旅しながらなにを思うのだろうか、、、
歌島(神島)を
二度と戻らぬ故郷と自覚するのだろうか、、、
挫折して島に戻って
住民と酒を酌み交わし
揉み手でも打って舟唄でも歌うのだろうか、、、
潮騒には
三島文学特有の
死やエロスや背徳などは、微塵も描かれていない
時代が操り、追い込つめる
自己嫌悪と
孤独感による、自己改造の必要性なのだろうか、、、、、
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潮騒には
日本の国が
加速度的に
変貌する姿を
微かににじませ
古くからの伝統美が
はかなく散っていくことへの
切ない想いだけが
美しくも儚く秘められている、、、、、

・・神島にはフェリーは就航しておらず
鳥羽港から旅客船で行くしか方法がない
デッキから見える島々を眺めしばしみとれ
小説に描かれたイメージをシーンに浮かべ浸っていた
一時間ほどで渥美半島の伊良湖岬に着いた
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半島最先端の伊良湖岬
ここは、松尾芭蕉の「鷹ひとつ見つけてうれし伊良湖崎」、島崎藤村の「椰子の実」で知られる歴史と自然豊かな風光明媚な景勝地だ
夏から秋にかけてメロン狩り、冬から春にかけて、いちご狩りなど味覚狩りにことかかない
伊良湖岬の最先端の高台に
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格式を放って
聳え立つ、伊良湖ビューホテルに向かった
常夏の島に来たようなトロピカルな雰囲気が周囲をつつんでいる
穏やかな二人だけのときが流れた
バイキング料理を食べながら
テーブルに着き、ハワイアンフラダンスショーを観賞した
柔らかで温かな雰囲気に呑まれ
南国のリゾート地に来たかのような錯覚をする
帰り道は、温暖な渥美半島先端部の
渥美フラワーセンターで、フラワーガーデンなどを見て楽しんだ
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色とりどりの花々に囲まれ
海に面した爽やかな潮風に頬をなでられ
一面に咲く沢山の花々の色と香りが、荒んだこころを癒してくれた
空に目をやると、陽が西空に傾いてゆく
貸し切りバスで R259号を走りぬけ、田原、豊橋、蒲郡、岡崎経由で解散場所へと向かい家路に着いた

・・何故、昨年のフェリー旅行を思い出したのだろう
海の香りと浮かぶ島々や潮風が懐かしかっただけなのだろうか
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二月の工場トップ陣の人事変更に伴い
三月になって、改築工場移動への課内の組織変更が行われた
基本的には通勤住所の近くなる者が最優先だ
品質や生技の専門の固有技術を持ったスタッフ陣は、名古屋や田豊など通勤が遠くになるものもいた
それでも製品に付き嫌がらず移動した
青春のやり直しの人生から7年半のあいだ世話になったところだ
全ての足がかりと成るものがある
手島さん、黒田くん、伊藤さん、江坂さん、柘植くん、町屋くん、成枝くん、小寺くん、室谷さん、切りがないほど世話になったひとたちばかりだ
室谷さんの弟には立知から岡崎の更生街を何軒も飲み歩き千鳥足で目が回り介抱されて、パーマ屋を営むマコ婦人に泊めてもらったことがある
忘れられないほど朝ごはんがうまかった
出張でいつでも来られるところだが
日が近づくに連れ、言いようのない一抹の寂しさが込みあげてきていた

用意周到で洩れのないよう綿密な事前摺り合わせをしていたため、移動対象者はどの課も事前にわかっていた
受け入れ部品から内製出荷検査までの一連を担う班組織だ
顔は知っているが、知らないもの同士が地域の関係を優先に集められた
短期間で、否応なしにしっかりとした体制を整えなければならない
榊原恵美ちゃん、榊原進くん、牧田くん、山崎くん、亀山さん、寺西さん、鈴木さんらが加わり
新入社員も4人ほどが予定され総勢15名になる
営繕や工具室に緊急発注し
棚、作業台などの製作やツール、備品類を準備した
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入れ替わるように
一番頼りにしていた室谷喬さんが会社をやめた
室谷さんの兄さんは
人並み外れて出世が早く、すでに工長の職位になっていた
はじめて入社したとき親身になって
兄のように優しく手取り足とりで面倒をみてくれたひとだ
また一緒に仕事ができると楽しみにしていたのに
出入りの下請企業に勧誘され決断し引き抜かれたらしい
元々は人形の顔や体の成型を作っていたところだが、現在では主としてカー部品の小物樹脂成型に転換した日進工業という中小企業だ
そのままいれば職場の上司になるはずだった
室谷さんの気持ちを揺さぶった何かが起きていたのだろう
二つの変遷の異なる企業が合併し
歴史や基準、年齢とキャリアなど
様々な諸問題が矛盾として浮かび上がってきていた時だ
当然のことながら人事面の交流が
双方を混ぜ合わせ
掻き混ぜ、平準化を狙った組織改革が積極的に行われた
上位の職制の立場にいるものが第一の的になる
悪くいえば単身で敵地に乗り込むようなものだ
生半端な覚悟で勤まるはずがない
相当な覚悟が必要だ
それぞれの会社で育ってきた環境と
基本的な考え方ややり方が根本的に違っていた
一方は歴史は浅いが
売り上げも利益も順当に上げている
新進気鋭の勤続年数が浅い若い会社
片方は歴史は古いが
経営が傾き倒産しかかっていた
勤続年数の古株が多い吸収された会社
双方に互いのプライドがある
室谷さんの兄さんも
そんな渦に巻き込まれ
嫌気がさして会社から身を引いたような気がした
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いつの時代でもそうだが
人事異動や
組織変更時には
人の心が蠢めき軋めく
泣く人、笑う人、眺める人、蚊帳の外の人
要領よく、うまく立ち舞う人間と
流れに歯向かって
意地を突っ張り、墓穴を掘り泣き目をみる人間とがいる
プライドを
ズタズタに切り刻まれ
奈落の底まで突き落とされるひと
天下を取ったように 我が侭顔の通せるひと
毒にも薬にもならず 当てにもされないひと
さまざまだ
勝也にとっては 願ってもないチャンスだ
が、不思議な感じもした
中学を出て就職し
始めて入った地元の有名会社が、今では一つの工場扱いになっている
一度やめて去ったところだ
思わぬ会社同士の企業合併と
急成長で事業拡販が大々的に行われている
あえて避けて通ったはずのところに 舞い戻る

三月末に、強行日程で対象のライン移動が行われた
夜明け前の暗い内から
大型特殊車両に次々と機械設備が搭載され運搬されていった
25kmほど離れた距離になる
現地に搬送され
荷卸しされレイアウト図に基づいた
線引き指定位置に機械設備が設置されていく
改築された
一階のスペースの
半分以上を一等地で全て占領した形になった
勿論、受け入れなどは
物の流れに即した部品業者の納入便が出入りする位置だ
元来、改築工場は
女性的でおとなしく小粒なイメージだった
反して豊新工場は、独自の勢いがあって
ダイナミックで荒々しく野性的で男性的なイメージだ
搬入出用4mの両ドアー8mのある一階の扉に面した
50m²の場所に、完成品検査ステーションを設け班の拠点として陣取った
逆イメージを放つ工場からの移動だった
工場がもたらす
利益額や利益率も比べ物にならないほど極端に違っていた
巨大組織の動きは正直だ
売上高と利益の大きいものが、おのずと我が物顔をして巾を利かす
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新たな改築工場でのスタートだ
あのひと、このひとと顔なじみの懐かしい顔に出会う
9年振りだが
昨日のことのように垣根が取り払われ接点がつながっていく
中には見たこともない人たちが大手を振って歩いている
やはり時の流れは無視できない
以前のままに残っている場所も匂いも多くある
知られているだけ気も楽だった
まるで
兄貴分か先輩格のような
大きな態度に写ったのだろう
が、この工場には班長制度が導入されていなかった
班長リーダー制度は
各工場が独自に認め設けている職位置だ
全社統一の検討のさなかだ
移動部隊150名弱の組織は
今までの豊新工場流で組織を動かした
品質スタッフは共に移動してきた
児島係長、金原くん、桑山くんと変化はなかった
検査組織は、板倉工長が全部をみていた
岡田組長が、代行的な動きをし
書紀全般の面倒を、小川美子さんが仕切っていた
少数の人間が、あたかも独裁している職場に写った
が、移動と合わせて組織変更が行われ
新たに、係りが新設され
神谷工長が加わり、柴崎工長とで二つの職場をみるようになった
組長として、昇進した杉浦栄くんが着任し直属の上司となった
栄くんは、似たような年頃の根崎出身の苦労人の先輩だ
後輩で部下にあたるのに
随分と気も使っているようだが、なんとなく馬は合った
それらとは別に
まず何よりも先に、移動設備の設備能力の確認と
各工程単位での、工程能力の確保と確認が最優先だ
機械設備と工程が、早期に安定しなければラインは稼動できない
専門の機器メーカーや
生技、保全、品質スタッフらによる
連日徹夜の過酷な取り組みが始まった
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休んでいるような、暇や余裕はない
立ち上げのための日程と手順に基づき
課題消化の工事や作業がテキパキと進められた
が、小さな現実の問題は難題となって山積していった
一週間ほどが過ぎると
無理がたたり、どの顔も疲れの色が隠せなかった
移動直後は、各得意先工場納入窓口単位に
生産工程変更による、品番毎の初品データを
製品にエフ表示をするとともに、添付して納入しなければならない
その様式も得意先単位で異なっており
指定されたものを使うのが取引の契約ルールだ
データをコピー引用しようにも
不可能なことで
煩わしくても、手書きで記入するしか術はない
莫大な量のデータ取りが必要だ
立ち上がり新製品だと
号口試作段階で3回以上
号口立ち上がり後3回で、計6回以上は
一箇所の納入窓口に対し必要になる
得意先は
言い換えれば、買い手側になる大事なお客さんだ
当然と言えば至極当たり前で、当然のことだ
仕入先サイドから見れば
同じ手順で、同じ扱いのことをして部品を納入しなければならない
仕組みの中のルールだ
例外なく
ピラミッド型の
企業体の中で行われることは、富士の裾野まで同じだ
メーカーからの、部品受け入れ時の品質確認と
内製組み立てされた
完成品出荷時の品質確認と
ダブルで、初期管理品質確認作業が発生する
設計変更や工程変更時は
それが 1回だけでO Kなのが唯一の救いだ
日当たり、多数回便で何回も納めるところから
月に一度のところまで、多岐にわたって納品場所と品番は存在する
慌ただしく、一ヶ月が過ぎていった
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時を合わせるかのように
一人だけ
最後まで
九州の最南端、鹿児島に居残っていた
長男一家が、ようやく戻ってきた
が、三男の文博は、父が亡くなる三年前から
次男の保は、父が亡くなったのを機に既に戻ってきている
文博は、以前半田にあったパチンコ台の製造会社で
今は移転して、春日井に拠点を移した本社工場に勤め
雅子という娘も、三年前に生まれていた
次男の保は
長年の文博との行動を、迷ったあげく分かち
在所がやっている、太陽建築に左官として勤めていた
熊本で生まれた
真奈美、勝彦の二人の小学生の子供がいた
そんなことから長男も
子供たちの学校の新学期が始まる
この区切りのつく春の時期に合わせたのだろう
鹿児島は
妻たま子さんの
実家のあるところで
その弟はトンカツ店を営み
鹿児島グランドホテルとも関係していた
妻の親戚筋が住んでいるところだ
鹿児島湾(錦江湾)と
霧島、垂水を向こうに眺める
鹿児島中央駅近くの、天文館を拠点に長男は働いていた
流れ流れ、転々としたあげく
妻の実家のある鹿児島に居つき、キャバレーのマスターをしていた
有名な繁華街であり、歓楽街だ
スポーツ関係や
芸能人など有名人が
頻繁に
顔を出し、遊びに来るらしい
が、遠まわりした浮き草家業の道を歩んでいた
もはや
生まれ故郷に
戻らなければならない、限界の時が来ていた
長男は、20代からオート三輪車を買い
石炭などの運送業を始めていたが
近所のサカエ竈がやりだしたサカエステンレス流し台などの
営業販売に知り合いだったことから誘われて転職し
次男、三男も勤めていた半田のパチンコ台製造会社をやめ
長男につづいて九州を拠点に
福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島と
渡り歩き、長年家を離れて販売活動を展開していた
が、時代の先取りをしたはずの
サカエステンレス流し台の会社は
相次ぐ商品のクレームを出し
多額の借金を抱えたまま、倒産してしまった
兄たちは、予期もせぬ事態に異郷の地で困惑した
事情が事情だけに
帰るにも、帰って来られなかった。。。
プライドも、許さなかった、、、
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年頃の年代だ、、、
必然的に、長男は鹿児島のひとと
次男は熊本のひと、三男は大分のひとを選び結ばれた
世の悪戯に翻弄され
丸、15年は過ぎただろう
しかも、20代から30代半ばになる大事な時期だ
時代が歩みだしていた流れと、まるで逆行した人の流れのパターンだ
家の跡取りとしての、強い面子もあつたのだろう
故郷に錦を飾らないで、おめおめと帰ることが男としてできなかった
それが偽らざる胸中だろうと、勝手に推察した
そんな長男の、光金一家も
今では、中学、小学生になる裕美、裕二、幸一と三人の子供がいる
当面の仕事として、主婦層に人気の
家庭用調理器用品の、講習、実演、販売業を営み始めた
長年、地方回りをしながら
営業をしてきただけあって
お茶の子サイサイ、口八丁手八丁で乙なものだ
長男一家をはじめ
故郷を離れていた、家族のみんなが生まれた土地に戻った
今ではそれぞれに尾ひれがつき、数倍の人数となる
血のつながったもの同士には
口では言い表せない、理屈抜きの絆と強い結びつきがある

西端に嫁いだ、節代姉ちゃんにも
3月に、次女の順子が生まれ
長女の明美と合わせ、二人の子供に恵まれていた
長女の初美も、旦那に色々あったが
家を売り払い、使い込み額の清算をし
一時は弥富で二階を借り
借家住まいをしていたが、光生という長男も授かった
結局は、谷刈市に舞い戻りアパート生活をし
旦那も勤め先を変え、初美は
結婚前に勤めていた
大黒屋から仕事をもらって、再出発をはかっていた
妹の良恵も、光宗くんとの結婚が間近のようだ
末っ子になる、弟の光良だけが
何処にいるのか、名古屋界隈でブラブラとしていた
まだ10代だ
焦ることもない
若さゆえのこともある
少ない経験ながらも、それを一番わかっているつもりだ

が、家族のみんなに新たな歯車が動き出した
光を浴びて、万事がバラ色に輝き始めている
世間は、ゴールデンウイークだというのに
休日出勤がつづき、それどころではなかった
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・・かかりつけの
南碧医院の医者に言われていた
出産予定日の、5月7日の日が、刻々と近づいていた
5月6日(水)深夜に
弥生が
辛抱できないほどの
激しい陣痛の苦しみに襲われた
義母を伴い
明けた7日の午前2時
産院、鶴ゲ崎の
南碧医院へ車で運び、緊急入院させた
(碧南医院新川町乙立20番地、TEL41-2726)

そのまま義母は
ズーッと付き添った
が、勝也は一旦家に戻って通常通り仕事に出かけた
弥生は、前日6日の
午前10時ころ出血し、陣痛が始まっていた
翌7日の11時半ごろ
産院の分娩室に入った

少しズレれば子供の日になったが
一日も狂わず、医者の言った予定日通りだ
生命が宿り、誕生するまでの
寸分も狂わぬ正確さと、不思議さを改めて感じた
胎内に宿り
何故、十月10日なのだろう・・?
命あるものすべてが、期間と時期と季節を的確に察知する
自然のなす業だが、神秘だ

ともあれ、初めての出産
不安で怖いような
妊婦の複雑な心を
助産婦さん、看護婦さんたちが、優しく解きほぐしてくれていた
が、これからわが子誕生の
生々しいドラマが始まる
いよいよ二世誕生の、幕が開いた
助産婦さんのいう通り
死に物狂いで
全力を振り絞って、弥生は頑張った
午前11時58分
”オギャァー”と
元気に
高らかに産声をあげ
この世に弟一歩を踏み出した
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幼 い 命 !!
「男のお子さんですよ」 の声に、弥生はフッと我にかえり
” あぁ 良かった うれしい、、、、、 。 ”
いつの間にか頬に、涙が伝わっていた
と、同時に
それを知らせ
祝うかのように
お昼を知らせるサイレンが、けたたましく街中に鳴り響いた
昼休みの時間で、会社に近い産院を12時15分に訪れた勝也は
着くなり、出産の知らせを聞き
部屋に入って、待望の我が長男を眩しげにみた
そして、柔らかで壊れそうな赤ちゃんを、こわごわと胸に抱いた
身 長   49cm
体 重  3,500g
胸 囲  34.5cm
頭 囲  33.5cm
元気な赤ちゃんだ
1970年5月7日 木曜 晴天の日 11時58分誕生!
胸がいっぱいで感無量になった

 ” バンザ~イ! ”

 大仕事ほんとに ご苦労さん、、、

 ありがとう、、、

十月10日を遡れば

この子が宿ってくれたのは

結婚後

はじめて二人で出かけた

あの伊勢湾旅行の と き だった,,,,,,,,,,,,,,


*※『あの時・あの頃』Part 8、《新たなる息吹き》(1)* E N D *

Continued on the following page. ・・・

  by raymirainya | 2006-12-04 18:18 | あの時あの頃8-1

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