いよいよ年の瀬

なのに、そんな気分が湧いてこない

古き時代のよき日本の風習、慣習と人情

最近は、ただめまぐるしいだけで、なんかしら、侘びしい気がする

テレビやらネットなど

その情報やら動向やらを、すべてマスメディアに牛耳られ洗脳されてる感じが、、

そして昨日を振り返り、今日を生き、明日を見てる

そういう私も、その一員

なにかが、ズレてる、おかしい、、、


2008年12月20日(土)・・・快晴・・・11℃~3℃

※創作ストーリー・続・美日々第25話~が有ったとしたら・・・第 2 7 話 『  予    兆   』

※それでは、創作続編 ・第25話・・・・・ 『 それぞれの思惑  』 にひきつづき

※        創作続編 ・第26話・・・・・ 『  感      激   』 

※        創作続編 ・第27話・・・・・ 『  予      兆   』 を、お届け致します。
・            Part ( 1 )・・・  《  ヨンスの・・・   無     情   》   


・Part ( 2 )・・・  《  ソンジェの・・・  魂 し い の 灯   》   

  僕 の  青 春 と 恋  っ  て・・・      

          敗れ散ったまま  ここまま  心が  燃えることもなく・・・

                生 き る っ て・・    こ と は・・・       

          愛 す る も の   守 り た い ものがなければ・・・

              そ れ が・・・  無 い の が   辛 く 侘 し い ・・・

              生 甲 斐・・・?    や り 甲 斐・・・?

          明るいあしたを求めて・・・  立ち向かって  乗り切っていくこと・・・   

      時には   急いだり  ゆったりしたり・・・  舟を漕いで  前に進んでいくかのように・・・

          だけど・・・   そのエネルギーは・・・    どこから湧いてくるのだろう・・・?

              僕に   そんな出会いが    訪れて来るのだろうか・・・

ソンジェの   自分探しの旅は   つづいていた...。

*京畿道(キョンギド)・ソウル(京城・漢城⇒「首爾」)をバイクで出てから ~天安(チョンアン)~忠清南道 (チュンチョンナムド) 慶尚北道(キョンサンプクド)・大田(テジョン)~・栄州(ヨンジュ)~慶尚北道(キョンサンプクド)・慶州(キョンジュ)~慶尚南道(キョンサンナムド)釜山(プサン)~と韓国の中央部を南東に突っ切りまるで韓国の中央部である馬の背骨部分をわたるかのように・・・、新羅(シラギ・シラ・、シンラ)王朝時代の首都だった慶尚北道(キョンサンプクド)・慶州(キョンジュ)と、現在ソウル(京城・漢城⇒「首爾」)に次いで第2の都市である港町、慶尚南道(キョンサンナムド)・釜山(プサン)までの旅は 終わった。。。

・           ソンジェにとって     生まれて始めての    自由気ままな独り旅だ...

後は 船で韓国最南端の島、1年を通して温暖な気候の火山離島のリゾートアイランド「済州島(チェジュド)」に渡って ~帰りは南岸部の海沿いを一気に駆け抜け・・・全羅南道(チョルラナムド)・木浦(モッポ)~全羅北道(チョルラプクド)~忠清南道 (チュンチョンナムド) ~、と、南の海岸線を通ってソウル(京城・漢城⇒「首爾」)に戻るという、おおよそ期間も何もかもが、すべからく当ての無い、行き当たりばったりの、何ものにも縛られない、思いつくがままに身を任せた気ままな流浪の旅を送るつもりであった。。。

要は韓国の歴史をつくった原点とも言える、何世紀も昔の百済(ペクチャ)・新羅(シラギ・シラ・、シンラ)時代・加羅(カラ)の地方の自然な風に当たり、人と出会って、新鮮なおいしい空気をいっぱい吸いながら、気ままにバイクで訪ね歩き、そこから自分自身の何らかを見出したかったのだ.....

...ソンジェには  そこで自分が抱えている 何かが見い出せ  発見でき 掴めるような気がしていた。。。

* いよいよ釜山 最後の日が 来てしまった。。。

約1ヶ月ほどの  大田(テジョン)・慶州(キョンジュ)・)釜山(プサン)  滞在だった。。。
お世話になった人たち 一人ひとりに・・・ 感謝の・・・  別れを告げ・・・・
釜山駅前の道  沿岸埠頭の
釜山港 沿岸旅客船ターミナルへと バイクを飛ばした。。。
ほどなくして  着いた

フェリーターミナルの 階段をのぼり  2階切符売り場に向った       
そこには警官が  この階段は  コヒョンへの乗船客が 乗船するための階段だった
乗客が  ずらりと並んでいた
警官は問題なく  そこを通してくれた
チャンスンポ行きの 乗り場は  ターミナルの 反対側から乗船してた
ターミナルの中は すでに  済州島行きの乗船客で ごった返していた
窓口に行った

釜山から     毎日フェリーが運航し     所要時間は  約 11時間  

・船名:オリエントスター2 =出発地釜山月・水・金出発時刻=19:30:00到着時刻6:00:00料金26,800~185,000ウォン

・船名:コジーアイランド/ヒョンデソルボン号=火・木・土出発時刻 19:30:00到着時刻6:00:00料金26,800~220,000ウォン
船名 :コジーアイランド /ヒョンデソルボン号
※特級室 2人室  220,000ウォン
※1等ベッド 2人室 130,000ウォン
2等ベッドA 家族 10人室 45,000ウォン
2等ベッドB 10人室 43,000ウォン
3等室A 40人室 34,000ウォン
3等室B 203人室 26,800ウォン

・日曜日を除く 一日おきの飛び石で 船名は振り分けられ

クレジットカードは 使えますか?   ・・・と  聞いた
「 シニョンカド 」   ・・・で  通じたようだ
ソンジェは  あえて 人の雑踏とした
コジーアイランド号  三等Bの26、800ウォン(2,680円)の  一番安い大部屋を希望した
満員だという
40人部屋    三等 Aはあるという
34、000ウオン(3,400円)   ・・・ OKだ

受付譲の彼女は コンピュータのキーを 叩いた
チョット心配だったが  きちんと34、000ウォンの 大部屋3等Aの予約は取れていた
「 ネイムカムバックプサン 」 と聞かれた (帰りの予約=往復)   ・・・  NOだ

ヒコーキより全然安い 宿代が 一泊分浮き しかも 船はガラガラだ
見るからに 登山客の 格好した人たちが   目についた
若い客も  中年も多い  家族連れも多い
プサンだけでなく 馬山や ソウルから  済州島に登山に来ていた
そんな乗船客が 週末を  済州島で 過ごす

馬山から来た 中年男性登山客組が フェリーで同席 済州島での登山を楽しむとか
相手もその分  フレンドリーになって ソンジェにとって  いい思い出となった
たわいもない話しをしながら いつしか  寝入った・・・
釜山から 夜行フェリーで なんと朝の6時に 上   陸だ

ここはハワイ?... 少し 異議あり・・・ 「 韓国のハワイ ? 」・・・?    いや済州島だ !!!!!

火山島で 温暖な気候
昔は韓国(朝鮮)とは 別の独立国だ ハワイとの共通点は多い...
う~む でも   ちょっと無理が・・・

ウラジオストックのことを 坂が多いというだけで 「東洋のサンフランシスコ」 ・・・といっていたロシア人達

海岸沿いの 比較的 高級ホテルのならぶ 大通りなので ワイキキっぽくなく
南の国らしい 木も 道の 両脇には 植えられ 空は真っ青!
美しい自然環境と  完璧に整備された 観光施設が
国内外から 観光客が訪れ 韓国最高の リゾートアイランドだ
国際的にも アジアを代表する リゾート地として
韓国で  新婚旅行の  メッカとして有名だ 

カジノ 免税店  ゴルフ場  海  グルメ(特に黒豚とあわびが有名)など    
観光客を引きつける 要素が 盛りだくさんだ
ギャンブルが有名で 大きな競馬場がある 済州島競馬公園(チェジュキョンマコンウォン)だ
多くの高級ホテル  きれいな海水浴場
「新羅ホテル」は 話題の映画 「シュリ」など ロケ地になったリゾ-ト・ホテル
オールインも チェジュドが 舞台だ
海岸に広がる奇岩怪石  ダイナミックな滝
島の中心には 漢拏山(ハルラサン)があって 山を同時に楽しめる
半島とは異なった 独特の文化も 済州の魅力だ

海はきれいだ 暑いのに 海で泳いでいる人が全然いないのも ハワイと違う(?)
島の南側の 西帰浦(ソギポ)の近くには 大リゾート・ホテルが立ち並び   
韓国本土や  日本から  金持ち観光客がやってきて    
海で泳ぐというより ゴルフや 乗馬をする
沖縄かなんかの  高級リゾートみたいだ
見方によっては まんざら韓国のハワイと  言えなくも無い...  

           ソンジェは 頭の中で  そんなことを考えていた

海産物屋のおっちゃんが 派手に客の呼び込みをやっている やっぱり韓国 !!!!!
済州島最大の町は済州(チェジュ) 海に面して プサン同様 海産物の料理屋が
韓国の その他の土地と違って 焼肉屋さんは  それほどない
それでも  全然おおい

太刀魚のスープが チェジュ名物だ   カルチグクといい
カルチ グイというのが 焼太刀魚で  「 カルチ 」が「 太刀魚 」
塩・コショーのスープに太刀魚を 10センチくらいにぶった切ったのが そのまま入っているだけ
単純明快な 文字どおり 「 太刀魚のスープ 」
どこの店も料理も 値段も似たりよったりで 客引きのおっちゃんに 声かけられた店に入ると
声かけてくれる店は  言葉のわからない外国人にも いろいろ世話をしていた

釜山同様 槽の中の魚を コレッ! ・・・と指差し
その場で 料理してもらった 美味い !!!

* ・・・泊まる事にした  旅館の目の前は 「 おお  オーシャン・ビュー!! ) だ !!!!

ソンジェは  宿屋の年老いた ハラボジ(おじいちゃん) ハルモニ(おばあちゃん)と

毎日のように  話をし  そして  聞かされた。。。

          しかし 不思議なほど 心穏やかに  時が過ごせ  話が聞けた...

          まるで本当の ハラボジ ハルモニ のような錯覚を覚えていた

・・・李朝時代 ここは 流刑の島だったという
今では 人口 52万人 南北 40km 東西 80km の縦長の島だ
別名  「三多三無の島」といわれ
三多とは 石と 風と 女性が 多いこと
この島の女性は働き者で 戸外にその姿を多く見かけるところから 三多のひとつになり
海女も  数万人はいる

三無とは  乞食と  泥棒と  門が  ないこと
現在は 外来客が多いため  鍵のある生活が普及したが 
昔は 逆に  外出中である事を  知らせる
門の 代わりに 対の石杭を置き 二~三本の 木の棒を渡して 合図にしていた
家の入り口に 牧場のように横に丸太がおいてあるだけで    
三本の横棒も 一本の場合は家の者が近所に  下の一本がない時は子供逹が近くに  
三本ともしまっている時は  家の者全員が  留守の印となっていた

農家の藁屋根は かっての日本海漁村のように  石が風よけに重しとしてつかわれ
台風に 飛ばされぬよう 藁縄の網で   しっかり押さえられ・・・
外敵に(倭冠など) 侵略されため 海上の船に発見されぬよう  
厨房の 煙突はなく 軒下の穴から 煙を出す工夫をしていた
世界には 無数のゴルフ場があるが  フェアウェイに  墓のあるのは済州島だけだ
島民の 祖先を 尊ぶ精神が  そうさせたのだ

歴史と生活習慣  年平均気温 15度  温暖な気候に  彩られ 
            今や韓国の 代表的な 観光地として  位置付けられた・・・

観光客を  見てみると
外国人観光客のうち  日本人がその3分の2を占め  
国内観光客の観光形態は 新婚旅行 ・修学旅行客が  増加傾向にある
多くの日本人 そして韓国の新婚旅行客を  ひきつけるこの島に
           コンセプトを決め 開発を進め・・・ 現在に至った
遥かなる昔 済州島は 独立国 「 耽羅 (タンラ)王国 」 だった
中国皇帝の使者が 不老長寿の妙薬を 探しにやってきた島として有名で
結局そんな薬はなく 諦めて 西に帰ったので 「 西帰浦(ソギポ) 」 という地名が 残っている

中国人が 蓬莱山(とこよのくに)と間違えるほど
この島は 神秘的な島で    
西海(東シナ海)の ど真ん中にあるので   
常に漢拏山(ハルラサン)には  雲がかかり  朝鮮雉が舞い イルカが 戯れる美しい島だ

しかし この弱小国は いつの日か  陸地(ユッチ・朝鮮本土)の属国となり 編入され
済州島は また 「 抵抗の島 」 で
高麗王朝が 元に 滅ぼされた際 高麗王朝の残党が 最後まで 抵抗したのがこの済州島
           これは済州島人が 望んだものでは・・・

朝鮮戦争の時は  もっと  悲惨で
済州島が 北朝鮮軍の ゲリラ活動を行っている  
支援していると 考えられ(もちろん済州島パルチザンはあったが・・・)
韓国軍による 虐殺事件(30万島民の内 8万人)が ・・・が起きた
まるで日本の 沖縄のような 歴史をたどった済州島は 独自の 文化を持っていた
言葉は 方言の域を出てしまうほど 違い それに伴い 文字も 若干違っていた
           その点では 韓国の一部とは  いえないかも・・・

他の地域と まったく違う経緯(中国にプレゼントされたことも)と 文化を持つ 地域が
平穏に 過ごせる  筈も・・・
当然のように 陸地の人から  差別され 
「 済州島は 言葉もしゃべれない 野蛮な島  」  
・・・がいつのまにか 「 怠け者 」 などといわれ 今でも 寄ると触ると 差別をして・・・

いったいどういうわけか 在日社会のほうが  圧倒的に 済州島を嫌い 馬鹿に・・・
開口 一番
「 それにしても 相変わらず 済州島は ダメだなぁ とにかくクズしかいない
あんな 馬鹿達と 同じ 韓国人と いわれたくない    」
・・・という旨の・・・
口先だけは 一丁前で 「 在日韓国人に  平等を! 」 などといって・・・
自分が 更なる弱者(マイノリティ)を  差別しておきながら とんでもないことで・・・

結婚でも この差別は続き 
「  済州島人 だから 」  ・・・という信じられない理由で  破局を迎えたカップルは かなり多い
見合いでも 「 済州島人以外 」 という条件を  よく耳に・・・
韓国人差別 ・学歴差別等を どう考えているのでしょう?
差別されることが 嫌なこと 理不尽なことだと 思わないのでしょうか?
公平に見て 民族(地域)差別 (済州島差別を含む)は 学歴差別以上に 理不尽だ







済州島は どんな島なの?   
流刑地(流人の島)  であったと・・・
李朝時代に どんな罪人が 流されたの?
刑事犯もいたと 考えられ
多くは 政治犯(当時ですから権力闘争に敗れたもの) だったといわれ・・・
これこそが 済州島の意外な一面を生む   土壌を築いた・・・
普通に考え これら流人は 教養があったことでは・・・
彼らは済州島に根づき  島民に 学問を 与えていった・・・

「科挙」は合格後 「 翰林 」 という 研修所に入る
済州島には なんと 「 翰林(ハルリン) 」 という地名があるから  驚きだった
罪人の島でもある島は やっぱり 差別の 対象になり易い
特に 「 優秀だ 」 ということは  絶対に  認めない
こんな  話も
近代化の父といわれるようになった パク・チョンヒ大統領は そのブレーンに済州島人を選んだ
           曰く 「 済州島人は  優秀 」 だ

戦後の 「不法入国(密航)」をみても
1970年以降の「不法入国」の 8割以上を 済州島人が占め
済州島人の「不法入国」は それだけ日本との関係が深い ・・・ということをものがたり
入管にとって済州島人は 特別な存在だったかも

入管が済州島人の 「不法入国」事情を  最も知っている・・・
入管から見ても 「不法入国」者であれ 人間に変わりない
「不法入国」してまで 生きる場を求め 生活基盤を築き  努力を評価したものと捉えられ
「出稼ぎ」目的の 「不法入国」の済州島人に 「特別在留」が認められたものと見て

済州島人の「不法入国」の 背景として 日本の植民地支配の 影響を忘れては・・・
済州島人の「不法入国(密航)」は 植民地支配の 影響のみに括られるものでは・・・

済州島人の戦後密航は   大きく三つに分けられ
1、戦前から日本で暮らしていた人々の「家族結合」目的
2、戦争の「避難民」
3、就労先を求めた「出稼ぎ目的」

「家族結合」の密航は      終戦直後から長期に渡って続けられ
「避難民」は 済州島の四・三事件(1945~1955年)と 朝鮮戦争(1950~1953年)によるものであった
入管は 「昭和40年以降  出稼ぎケースが主流」と発表し
1970年代半ばからは  大量の 集団密航時代に入る
済州島人にとって  密航はそれほど 特別なことではなかった
密航した人々は  密航後  その代価を支払うことになる
密航した本人が最も苦しめられ 密航すること自体はある意味 簡単だったかも知れない
日本での生活が長くなればなるほど  誠実に働き 日本で生活基盤を築き  
家族形成 定着度が高くなればなるほど  「非合法」なための
「 不自由 」が痛く  自分が生きる  日本の法律を 犯していることの 重大さを知らされる

・・・ソンジェは 聞かされた いろんなことを思いながら  ぶらぶら歩いていた...         
” TOKYO HOTEL ”
” TOKYO ”  は ブランドなのだろうか?
日本でも 「ニューヨーク」だとか「ロンドン」だとか あぶない店が 昔はよくあったとか
木浦(モッポ)での旅館では 「 東京荘旅館 」 という名前もある

           ソンジェは バイクにまたがり 毎日のように  出かけた。。。

           バイクは 小回りが効き  便利がいい

海岸線を飛ばす  第一 第二縦断道路で島を抜け  気分も最高だ !!!!!

           思わず  運転しながらも  歌を口ずさんでいる

           島の 風と 青い空と  広大な海と自然    温かな人たちの心が・・・

           ソンジェの 心を  十二分に  癒してくれていた...

“ テジフェスティバル (ブタ祭り) ”

滝が多い 韓国語で 滝のことを “ポッポ” という
発音が少し違うようだが    キスのことも      “ ポッポ ” 
滝の話をする時  “ポッポ”  と言うのをためらってしまうのは?( 。―(ェ)―。)ポッ

神秘の道路(トケビドロ)で 遠くの山を  多分漢拏山だ

象徴のひとつ竜頭岩(ヨントゥアム) 荒 海 で  なぎの時の 海の水の青さは最高だ
済州島の翰林公園(ハンリムコンウォン)  溶岩に覆われたこの地を
観光名所にしようとした 個人が   開発した
溶岩洞窟と違って 貝殻や 砂の 石灰分が 雨水と共に 洞窟の中に染み込み
小さいながらも  鍾乳石を作って  世界的にも珍しい洞窟だ

翰林公園(ハンリムコンウォン)の 盆栽広場にあった 樹齢300年のカリンの木の盆栽
花が咲き実もなる 植物園  鍾乳洞 盆栽園見学 かなりの広さなのに時間が30分の予定

済州大侑ランドの 乗馬クラブで 天然記念物であるポニー(ジョランマル)に乗って  はい!ポーズ!
自分で手綱を引くんじゃなく  ずっと係りの人が  引いて
よく調教されて 暴れることなく 乗り心地はまぁまぁ
少し小さめの馬で フラフラ  草原の大地を  揺られていく気分は最高

済州大侑ランドで  オフロード バギーにチャレンジ !!!!!
迷彩服やヘルメットを いざ出発の前に 係りのお兄さんから  注意事項が
ピットの前の練習コースで  慣 ら し 運 転
周回コースを何周かした後 おにいさんに連れられて 本コースへ導かれ 
しばらく伴走した後  いよいよフリー 走  行 !!!
高速ターンや  四輪ドリフトを ジャンジャン  やって大いに楽しんだ

        ・・ソンジェはバギーながら ハンドルを切り  ファイティングアタックする

           危険ながらも  ハイテクな操縦と スピードに  酔いしれていた

       どうやら  バイクに限らず  スピード狂で  レーシングが好きのようだった !!!

漢拏山(ハンラサン)韓国の最高峰1、950mで ハンラサンの眺めはこの地を去りがたい気持ちに・・・

    ソンジェは 最近では  どこを訪ねても  自分から  話し掛けるようになってきていた

              こ れ も   大 き な   旅 の 成 果だろう

済州島の  原住民の  発祥地
三神人を祭っている  三姓穴(サムソンヒョル)の入り口の像  横から見ると 男性自身を象ってた

石窟園(クムヌンソックルウォン)  自然を背景に  たくさんの彫刻像が展示され
済州島のシンボル トルハルバンはもちろん 済州島の 庶民生活の様子が 表現され
疫払いの 俗信仰の  シンボル石像だ
ちょっと気になったのが  子供も  大人も  お尻を出している石像が多いこと 
さらに  覗き見している  パターンも  結構ある  
顔があばたなのは 溶岩石で彫ったので その表情のとぼけに良く似合っている 
鼻が 飲んべぇの 赤鼻を連想させるほど 磨り減って 丸くなっているのは   
子宝を願う 女性逹が 鼻を 撫でたためだった
<女の人が用を足してるところ  下からはトンテジ(うん豚)が待ち受け 遠くでおじさんがのぞき見してる>

ソッチコチ済州島を代表する絶景地 日の出がとても美しい 城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)
その峰を  遠くから眺め  済州島の端(コチ)  
美しい海と 峰を背景に 岬はどこへ、、、
日の出が 最も美しいといわれる岬へ 180mの断崖絶壁を 階段で登って  
頂上は 水平線が一望でき 大パノラマ こんなところで 日の出を見てみたいもの
海女さんの おばあちゃんが あわびやらナマコやらを売っていて 味見をした

天地然瀑布(ポッポ)  天と地をつなぐ滝  有名な5つの滝の中の1つ
散歩にも最適で 地元の人たちのデートコースにもなってる
入口から滝まで 往復30分ほどの道に 天然記念物に指定されてる 植物や動物たち棲息し
たくさん楽しめ 済州島人は 入場料が半額 地元人も 気軽に利用できる

神秘の道路(トケビドロ) この道路は実際は上っているのに 下がっているような感じが
神 秘 の 道 路 だ (景観勾配による目の錯覚) 

火山口(サングムプリ) 済州島にも 昔は活火山があった  その中の1つ
火口の大きな穴には  もう緑が生い茂り  単なる丘のように見えたりもする
一種異様な魅力に  ちょっと吸い込まれ気味 

海水浴場  済州島の海で  バナナボート!
せっかくだからバナナボートやるでしょー 救命チョッキを着てバナナボートにしっかりつかまっていよいよ出発!
ひーー! 引っ張られる~! 前の女の子が かなりぎゃ-ぎゃ- 言って 楽しんでる
後ろの男の子は  「ひ~、ひっ、ひぃ~」 と  か細い声で かなり怖がって ちょっと笑っちゃう
帰り際  パンツで泳いでた男の子が  突然脱ぎ始めた~!

さーて 歩き回って  腹も空いたー 今日は一体何を食べようか?
黒豚? 海鮮鍋? 太刀魚?  などが頭をぐるぐるまわる
期待いっぱいの 前に現われたランチは? んーー こっこれだけー?っ
キムチとナムルと 鯖の煮付けと 味噌汁にご飯 うっうっ、、、 悲しいランチだ

「済州島の名物といえば 黒 豚!(うぉーー) その名物を  味わっていただきま~す。(やりっ!」」
今日のメニューは 唐辛子味噌で味付けした黒豚  キムチ スープなどなど 
そして 特産のマッコリも  いただきー
済州島産のマッコリ ソウルでよくいただくのより 色が茶色っぽいょ!

ソウルで流行っていた バーのようなお洒落な サムギョッサル屋が 済州島にもあった
そこで済州島産の 焼酎と オギョッサル!  
その近くの 豚肉屋で 豚の塩焼きとビール!(ここは実はメニューが塩焼きのみだった~) 
どど~んと  肉の塊が出てきて 表面をこんがり焼いたら スタッフが食べやすく切ってくれた
豚肉なんで  しっかり焼いて  口へ  うまかった~!

果物農園見学 みかんの農園見学とは 言ったものの   
この農園で栽培している みかんや パイナップルなどの説明をした後  
みかんの試食ということで  おかしなログハウスへ 連れて行かれ
「 あー  これでみかんを買ってもらおうっていう 魂胆だな?!」  っと思ったら  あまかったー
栽培が許可されている場所が 5箇所くらいしかない  トウチュウカソウを栽培していて
品質が最高級、、、といったような話しが延々3、40分 途中でがんがんに利いたエアコンのため 頭がクラクラ

民俗村で 済州島の村の生活を見学
伝統家屋 藁葺き屋根の家をそのまま保存するという条件で 政府から補助を受けて生活している村だ
背丈の低い 石垣で囲まれた 干し草の屋根と 土壁でできたトラディショナルな建物に驚愕した
しかも 未だに 人が住んでいた さすがに  異文化を実感
外見は昔のままでも 中をのぞけば洗濯機 テレビ 電話など 電化製品はなんでもあった

民族村を ぐるりと一周りした後 そんな情緒もつかの間  
ビザカードのマークが貼ってある トラディショナルな  建物の中に連れて行かれ  
その村の自称? ボランティアの案内人の説明を ふむふむと感心しながら聞いてたら
話がだんだん 馬の骨やら 五味子茶やら なんだか健康食品の話しになってきた
おかしいなあと思ってたら 皆クーラーのガンガン聞いた  快適なログハウスにご案内
教会にあるような 長いすにみな詰めて座らせられ 目の前の台にズラリと並べてあるものは
さっき話していたトウチュウカソウ 馬の骨 五味子茶 ! その後それらの説明が再び延々と3、40分
ミスマッチなことに  テレビショッピングのごとく  
地元の青年が おみやげを紹介し 販売  ” さすが観光地 ” って改めて実感
「みんな結構買うんだ~ふ~ん(感心)」  だんだん自分も五味子茶ぐらい、、、という気になってくるのが怖い

遊覧船  乗って 正解だ  
潮風に吹かれながら 済州島の美しい島々の 新緑の緑と  エメラルドグリーンの海が印象的~
日の出が美しいと有名な  城山日出峰のそばから船に乗り  
牛の形をしていると有名な その名も牛島(ウド)も見ることが
その岩の島に刻まれた いろんな模様が 人の顔に見えたり  獅子に見えたり  象に見えたり 
自然の力に 改めて感心 美しい

へニョチョン(海女村)でアワビ粥  刺身を食べた
海岸で 漁師のオバさんが  売っていた  
口に吸いつく 活タコの味  ナマコ・アワビ・フグ・ホヤ 食べ物と 自 然を 満 喫
東海(トンへ)の刺身事件を考えると イマイチ乗る気になれず
注文すると 小皿に小さく切って入れてくれ やはり新鮮で美味かった

乗馬に乗ろう! とは思って見たものの 長蛇の列 順番を待っている人たちを見て 断 念した
道路沿いの草原に 放し飼いになっている 馬たちを 羨ましそうに 眺めた・・・

・・・ソンジェは 宿屋の人たちに勧められるがまま 話題の映画を観にいった 
 ・・・『 海女の リャンさん 』

チェジュド出身者の ドキュメンタリー映画の名 作だ !!!

戦前 済州島から 日本に渡り 現 在 大阪で一人 暮らす
梁 義憲(リャン・イーホン)さん  (88才 1916年生まれ)の 生活を
3年間にわたって  記録した 長編ドキュメンタリー だ

きっかけは 
海 女 と し て  日 本 各 地 の  海 で  働 く 様 子
帰国船で 朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮)に 子供達を 送り出す 姿

38年前に 記録された 未公開作品に 出会ったことから 始まり
この記録映画を 完成させようと 日本人が 映画製作を 引き継ぎ
38年前のフィルムと 現在の 映像を交えて
一人の女性が 差別と 貧困の 中で
妻として 夫を支え 母として 子供たちを育て
家族の歴史を 「在日」カメラマン 日本人カメラマン そして家族のカメラがとらえた 映像を結集させ
未完の 映画を 完成させた

映画は リャンさんの故 郷  ・韓国 済州島への 53年ぶりの 訪 問
最後の 北朝鮮 訪 問を 紹 介しており
日本 韓国 北朝鮮 に離散してしまった 子どもたちとの 再会から
国家の 対立がもたらした 悲劇と 家族の絆 の 尊さを 伝え
ごく普通の ハルモニが 主人公で
あまりの 現実の 重さと 過酷な 人生に ソンジェは 涙が 止まらなかった・・・

・・・帰国運動で 北に帰った 息子の立場が 悪くなる ・・・という理由で 国籍が 韓国に変更できず
韓国に 帰国した 次女に 会うことも 出来ず 生まれ故郷の 済州島にも 帰れず・・・
・・・の場面では 極めて 辛い その現実に 逆に 涙も 止まって・・・

ビョンホン氏の 『甘い人生』  「 なんてむごい 」  セリフではありませんが ・・・ ことなんでしょう・・・

しかし チャンスは 一度だけ訪れ
墓参のため 高齢者に限って 政府により 韓国訪問が一度だけ  許され
88歳(今年)の ハルモニは
やっとのことで帰国することが出来 その地で 次女とも会うことが出来ました

次女は済州島3.4事件のとき 身の危険を感じ 日本に密航脱出した
リャンさんと その夫に しばらく置き去りにされ
日本に渡れる年になるまで 孤児院で 育てられ
その孤児院が 元あった 浜辺で 海を眺めている二人を
いつまでも ロング・ショットで撮り続け
「 お母さん  ・・・いつまでも健康で元気でいてください 」
・・・・・と 型どおり 切り出す次女

「  私は   お前を    置き去りにしてしまった・・・
   でも   どうしようもなかったんだよ     誰が悪いわけじゃない   
   あの時は 仕方なかったんだ 時代が悪かったんだよ・・・     」

・・・・・と  遠くを眺めながら つぶやくハルモニ
思わず 泣きながら  抱きつく次女    
それでも 相変わらず 遠くを眺めながら 流れる涙を ぬぐうハルモニ
そこには 凡百の 理屈や 作為的な演技を  遥かに超えた  
魂の根源に 肉薄する 人生の真実が・・・・・

映画は もう最後となるであろう 万景峰号での 北朝鮮への訪問
・・・という 拉致事件の 大騒動の中で行われ 
非常に 貴重な 映像も 記録して
大切なのは ハルモニが ピョンヤンに行って 
三男・四男家族と 交流する場面も 記録され
ほとんど始めて 実際に 北の地に住み 普通の生活をしている 家族の肉声に 接することが出来た

しかし ハルモニが 命を削って(なんせ70才まで海に潜っていたというのですから!)
送金したお金のためか 彼らは アパートに住み 衣食にも 困らない  
かなり よい暮らしをして      
それでも インスタントコーヒーやお茶 塩コショウ・・・ など日常食品
寒いため 冬物衣料を  押し抱くように 喜んで  受け取っているところなど
まさしく巧まざる現実を  如実に物語っていた

マンギョンボン号は 将軍様の高級品なども 載せているのかもしれませんが
リャンさんが 息子のために 半年がかりで 漬けた にんにくの醤油漬け
ハルモニの 涙や 溜息も たくさん載せて 運んでいるのだ・・・
ということも よく分かった・・・・・

映画は リャン(韓国語発音では梁、ヤン)さんが 北朝鮮国籍であり 
マンギョンボン号内部や 北の情景も記録されており
朝鮮総連の協力も受け 撮られているため 拉致問題に対する批判や 
北の為政者に対する 攻撃もありません
しかし 「 帰国事業のとき 宣伝された 北は地上の楽園
・・・というのは 全く 事実と異なっていた  」
・・・などの  説明もなされ・・・   

韓国側にも 過度に 肩入れは なされず

リャンさんが 言うように 「 誰が   悪いわけでもない   」 

・・・という  視点から 
事実を 淡々と 積み重ねて 撮られ
凄いのは リャンさんが日本に来たころの 四十年前の 記録映像が残っていて 
そこから  話が始まっていることで
それが 更なる 奥行きを 与えていた・・・

こ の 映 画 は   
や は り 在 日 の ハ ル モ ニ の 一 生 を 描 い た 
『 HAЯUKO 』 という映画と 交互に単館系映画館で 上映され
韓流スターは もちろん 誰も出演しておらず  

「 事 実 」を いつまでも「 事 実 」として 記 憶し  
決して 時の 流れの中に 埋没させては・・・・・・


*・・ソンジェは つよく 胸を 打たれ  自分の 甘さを 恥じた・・・

家族を守り抜く 愛の捧げ方に やりきれないほど 衝撃と無常さを感じた・・・

愛をもって 守らなければならないものを 自己犠牲してまで・・・

そこには なんんともいい難いほどの 力強さと逞しさ それと 心の 支えがあった !!!!!     

【 無 我 夢 中 !!! 】   【 必 死 !!! 】 ・・・そんな言葉しか 出てこない !!!

考えてる余裕なんて まるで無い とにかく なにごとも 一途だった !!!!!

まず 動くこと 働くこと  稼ぐこと・・・

好きだの 嫌いだの 嫌だの 微塵の心の贅沢も みられ無かった

この映画を絶対に観て! 

とすすめた ハラボジ(おじいちゃん) ハルモニ(おばあちゃん)の気持ちが少し分った気がした

しかも  この映画の海女のリャンさんは  宿屋のハラボジ ハルモニの 幼友達だったと後で知った

島の人たちに とてつもない 優しさ 偉大さと 逞しさを感じていた。。。

ソンジェの いままでの旅で 印象に残ったのは 出会った人達の優しさ  
人 と の 出 会 い と 別 れ

孫のように接してくれる人達 また 皆 本当に しゃべる しゃべる 止まらない
な ん て 優 し いんだ・・・ 

目 頭が  熱 くなった・・・

こんなところで 住みたい!
結婚し 子ども達を 育てたい!

お金を貯めて ここで暮らせて ここで死ねたら!
旅館で 毎日 今日あった出来事 出会った人達を 思い浮かべ なぜか涙が

心の中で話しかけ ポロポロ 涙がこぼれ落ち
(また来るからね) そうつぶやき 涙でぐしょぐしょになった 汚い顔を ハンカチで拭き

ソンジェは 漠 然 と し た 心 の 灯 り を 肌 で  感 じ だ し て き て い た...

・・・ ソンジェのノートパソコンの中には 膨大な量の 詩と メロディ

日々の日記が 綴られ デジカメ写真 ビデオが 相当量になってきていた・・・

  その詩の内容は 殆んど 自然をモチーフにした木々や花ばな  海や山々 ・・・さくら  ひまわり.....

  旅で出会い 体験し 感じたままの・・・ そこで生きづいている  自然と 人々の心との  さまだった・・・

・・・もうこの島を 帰るなんて・・・ なぜかしら 寂しい気が しすぎた… しかし はや 3週間もの滞在だった  

       「 ヨルシミ ハセヨ~ 」( =頑張って )の 声に送られ

済州島(チェジュド)から 4時間ほど フェリーに乗り 120kmほど離れた 

全羅南道(チョルラナムド) ・木浦(モッポ)へと 向かった。。。。。

着けば 一気に 海岸線を 突っ切り ソウルを 目指すだけだ !!!!

ソンジェの目は生きいきと輝きを増し  顔つきも見違えるほど 一段と逞しく締まってきていた。。。。。。。


*** そ *** れ *** で *** は **** 創作続編 27話パート(2) * E N D *
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  by raymirainya | 2008-12-20 12:09 | 創作続編27-2

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