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しずかな日曜日

高揚感のない、日曜日


2008年12月21日(日)・・・曇り・・・11℃~3℃

創作続編 ・第27話・・・・・ 『 予 兆 』-3
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  by raymirainya | 2008-12-21 12:22 | 創作続編27-3

いよいよ年の瀬

なのに、そんな気分が湧いてこない

古き時代のよき日本の風習、慣習と人情

最近は、ただめまぐるしいだけで、なんかしら、侘びしい気がする

テレビやらネットなど

その情報やら動向やらを、すべてマスメディアに牛耳られ洗脳されてる感じが、、

そして昨日を振り返り、今日を生き、明日を見てる

そういう私も、その一員

なにかが、ズレてる、おかしい、、、


2008年12月20日(土)・・・快晴・・・11℃~3℃

※創作ストーリー・続・美日々第25話~が有ったとしたら・・・第 2 7 話 『  予    兆   』

※それでは、創作続編 ・第25話・・・・・ 『 それぞれの思惑  』 にひきつづき

※        創作続編 ・第26話・・・・・ 『  感      激   』 

※        創作続編 ・第27話・・・・・ 『  予      兆   』 を、お届け致します。
・            Part ( 1 )・・・  《  ヨンスの・・・   無     情   》   


・Part ( 2 )・・・  《  ソンジェの・・・  魂 し い の 灯   》   

  僕 の  青 春 と 恋  っ  て・・・      

          敗れ散ったまま  ここまま  心が  燃えることもなく・・・

                生 き る っ て・・    こ と は・・・       

          愛 す る も の   守 り た い ものがなければ・・・

              そ れ が・・・  無 い の が   辛 く 侘 し い ・・・

              生 甲 斐・・・?    や り 甲 斐・・・?

          明るいあしたを求めて・・・  立ち向かって  乗り切っていくこと・・・   

      時には   急いだり  ゆったりしたり・・・  舟を漕いで  前に進んでいくかのように・・・

          だけど・・・   そのエネルギーは・・・    どこから湧いてくるのだろう・・・?

              僕に   そんな出会いが    訪れて来るのだろうか・・・

ソンジェの   自分探しの旅は   つづいていた...。

*京畿道(キョンギド)・ソウル(京城・漢城⇒「首爾」)をバイクで出てから ~天安(チョンアン)~忠清南道 (チュンチョンナムド) 慶尚北道(キョンサンプクド)・大田(テジョン)~・栄州(ヨンジュ)~慶尚北道(キョンサンプクド)・慶州(キョンジュ)~慶尚南道(キョンサンナムド)釜山(プサン)~と韓国の中央部を南東に突っ切りまるで韓国の中央部である馬の背骨部分をわたるかのように・・・、新羅(シラギ・シラ・、シンラ)王朝時代の首都だった慶尚北道(キョンサンプクド)・慶州(キョンジュ)と、現在ソウル(京城・漢城⇒「首爾」)に次いで第2の都市である港町、慶尚南道(キョンサンナムド)・釜山(プサン)までの旅は 終わった。。。

・           ソンジェにとって     生まれて始めての    自由気ままな独り旅だ...

後は 船で韓国最南端の島、1年を通して温暖な気候の火山離島のリゾートアイランド「済州島(チェジュド)」に渡って ~帰りは南岸部の海沿いを一気に駆け抜け・・・全羅南道(チョルラナムド)・木浦(モッポ)~全羅北道(チョルラプクド)~忠清南道 (チュンチョンナムド) ~、と、南の海岸線を通ってソウル(京城・漢城⇒「首爾」)に戻るという、おおよそ期間も何もかもが、すべからく当ての無い、行き当たりばったりの、何ものにも縛られない、思いつくがままに身を任せた気ままな流浪の旅を送るつもりであった。。。

要は韓国の歴史をつくった原点とも言える、何世紀も昔の百済(ペクチャ)・新羅(シラギ・シラ・、シンラ)時代・加羅(カラ)の地方の自然な風に当たり、人と出会って、新鮮なおいしい空気をいっぱい吸いながら、気ままにバイクで訪ね歩き、そこから自分自身の何らかを見出したかったのだ.....

...ソンジェには  そこで自分が抱えている 何かが見い出せ  発見でき 掴めるような気がしていた。。。

* いよいよ釜山 最後の日が 来てしまった。。。

約1ヶ月ほどの  大田(テジョン)・慶州(キョンジュ)・)釜山(プサン)  滞在だった。。。
お世話になった人たち 一人ひとりに・・・ 感謝の・・・  別れを告げ・・・・
釜山駅前の道  沿岸埠頭の
釜山港 沿岸旅客船ターミナルへと バイクを飛ばした。。。
ほどなくして  着いた

フェリーターミナルの 階段をのぼり  2階切符売り場に向った       
そこには警官が  この階段は  コヒョンへの乗船客が 乗船するための階段だった
乗客が  ずらりと並んでいた
警官は問題なく  そこを通してくれた
チャンスンポ行きの 乗り場は  ターミナルの 反対側から乗船してた
ターミナルの中は すでに  済州島行きの乗船客で ごった返していた
窓口に行った

釜山から     毎日フェリーが運航し     所要時間は  約 11時間  

・船名:オリエントスター2 =出発地釜山月・水・金出発時刻=19:30:00到着時刻6:00:00料金26,800~185,000ウォン

・船名:コジーアイランド/ヒョンデソルボン号=火・木・土出発時刻 19:30:00到着時刻6:00:00料金26,800~220,000ウォン
船名 :コジーアイランド /ヒョンデソルボン号
※特級室 2人室  220,000ウォン
※1等ベッド 2人室 130,000ウォン
2等ベッドA 家族 10人室 45,000ウォン
2等ベッドB 10人室 43,000ウォン
3等室A 40人室 34,000ウォン
3等室B 203人室 26,800ウォン

・日曜日を除く 一日おきの飛び石で 船名は振り分けられ

クレジットカードは 使えますか?   ・・・と  聞いた
「 シニョンカド 」   ・・・で  通じたようだ
ソンジェは  あえて 人の雑踏とした
コジーアイランド号  三等Bの26、800ウォン(2,680円)の  一番安い大部屋を希望した
満員だという
40人部屋    三等 Aはあるという
34、000ウオン(3,400円)   ・・・ OKだ

受付譲の彼女は コンピュータのキーを 叩いた
チョット心配だったが  きちんと34、000ウォンの 大部屋3等Aの予約は取れていた
「 ネイムカムバックプサン 」 と聞かれた (帰りの予約=往復)   ・・・  NOだ

ヒコーキより全然安い 宿代が 一泊分浮き しかも 船はガラガラだ
見るからに 登山客の 格好した人たちが   目についた
若い客も  中年も多い  家族連れも多い
プサンだけでなく 馬山や ソウルから  済州島に登山に来ていた
そんな乗船客が 週末を  済州島で 過ごす

馬山から来た 中年男性登山客組が フェリーで同席 済州島での登山を楽しむとか
相手もその分  フレンドリーになって ソンジェにとって  いい思い出となった
たわいもない話しをしながら いつしか  寝入った・・・
釜山から 夜行フェリーで なんと朝の6時に 上   陸だ

ここはハワイ?... 少し 異議あり・・・ 「 韓国のハワイ ? 」・・・?    いや済州島だ !!!!!

火山島で 温暖な気候
昔は韓国(朝鮮)とは 別の独立国だ ハワイとの共通点は多い...
う~む でも   ちょっと無理が・・・

ウラジオストックのことを 坂が多いというだけで 「東洋のサンフランシスコ」 ・・・といっていたロシア人達

海岸沿いの 比較的 高級ホテルのならぶ 大通りなので ワイキキっぽくなく
南の国らしい 木も 道の 両脇には 植えられ 空は真っ青!
美しい自然環境と  完璧に整備された 観光施設が
国内外から 観光客が訪れ 韓国最高の リゾートアイランドだ
国際的にも アジアを代表する リゾート地として
韓国で  新婚旅行の  メッカとして有名だ 

カジノ 免税店  ゴルフ場  海  グルメ(特に黒豚とあわびが有名)など    
観光客を引きつける 要素が 盛りだくさんだ
ギャンブルが有名で 大きな競馬場がある 済州島競馬公園(チェジュキョンマコンウォン)だ
多くの高級ホテル  きれいな海水浴場
「新羅ホテル」は 話題の映画 「シュリ」など ロケ地になったリゾ-ト・ホテル
オールインも チェジュドが 舞台だ
海岸に広がる奇岩怪石  ダイナミックな滝
島の中心には 漢拏山(ハルラサン)があって 山を同時に楽しめる
半島とは異なった 独特の文化も 済州の魅力だ

海はきれいだ 暑いのに 海で泳いでいる人が全然いないのも ハワイと違う(?)
島の南側の 西帰浦(ソギポ)の近くには 大リゾート・ホテルが立ち並び   
韓国本土や  日本から  金持ち観光客がやってきて    
海で泳ぐというより ゴルフや 乗馬をする
沖縄かなんかの  高級リゾートみたいだ
見方によっては まんざら韓国のハワイと  言えなくも無い...  

           ソンジェは 頭の中で  そんなことを考えていた

海産物屋のおっちゃんが 派手に客の呼び込みをやっている やっぱり韓国 !!!!!
済州島最大の町は済州(チェジュ) 海に面して プサン同様 海産物の料理屋が
韓国の その他の土地と違って 焼肉屋さんは  それほどない
それでも  全然おおい

太刀魚のスープが チェジュ名物だ   カルチグクといい
カルチ グイというのが 焼太刀魚で  「 カルチ 」が「 太刀魚 」
塩・コショーのスープに太刀魚を 10センチくらいにぶった切ったのが そのまま入っているだけ
単純明快な 文字どおり 「 太刀魚のスープ 」
どこの店も料理も 値段も似たりよったりで 客引きのおっちゃんに 声かけられた店に入ると
声かけてくれる店は  言葉のわからない外国人にも いろいろ世話をしていた

釜山同様 槽の中の魚を コレッ! ・・・と指差し
その場で 料理してもらった 美味い !!!

* ・・・泊まる事にした  旅館の目の前は 「 おお  オーシャン・ビュー!! ) だ !!!!

ソンジェは  宿屋の年老いた ハラボジ(おじいちゃん) ハルモニ(おばあちゃん)と

毎日のように  話をし  そして  聞かされた。。。

          しかし 不思議なほど 心穏やかに  時が過ごせ  話が聞けた...

          まるで本当の ハラボジ ハルモニ のような錯覚を覚えていた

・・・李朝時代 ここは 流刑の島だったという
今では 人口 52万人 南北 40km 東西 80km の縦長の島だ
別名  「三多三無の島」といわれ
三多とは 石と 風と 女性が 多いこと
この島の女性は働き者で 戸外にその姿を多く見かけるところから 三多のひとつになり
海女も  数万人はいる

三無とは  乞食と  泥棒と  門が  ないこと
現在は 外来客が多いため  鍵のある生活が普及したが 
昔は 逆に  外出中である事を  知らせる
門の 代わりに 対の石杭を置き 二~三本の 木の棒を渡して 合図にしていた
家の入り口に 牧場のように横に丸太がおいてあるだけで    
三本の横棒も 一本の場合は家の者が近所に  下の一本がない時は子供逹が近くに  
三本ともしまっている時は  家の者全員が  留守の印となっていた

農家の藁屋根は かっての日本海漁村のように  石が風よけに重しとしてつかわれ
台風に 飛ばされぬよう 藁縄の網で   しっかり押さえられ・・・
外敵に(倭冠など) 侵略されため 海上の船に発見されぬよう  
厨房の 煙突はなく 軒下の穴から 煙を出す工夫をしていた
世界には 無数のゴルフ場があるが  フェアウェイに  墓のあるのは済州島だけだ
島民の 祖先を 尊ぶ精神が  そうさせたのだ

歴史と生活習慣  年平均気温 15度  温暖な気候に  彩られ 
            今や韓国の 代表的な 観光地として  位置付けられた・・・

観光客を  見てみると
外国人観光客のうち  日本人がその3分の2を占め  
国内観光客の観光形態は 新婚旅行 ・修学旅行客が  増加傾向にある
多くの日本人 そして韓国の新婚旅行客を  ひきつけるこの島に
           コンセプトを決め 開発を進め・・・ 現在に至った
遥かなる昔 済州島は 独立国 「 耽羅 (タンラ)王国 」 だった
中国皇帝の使者が 不老長寿の妙薬を 探しにやってきた島として有名で
結局そんな薬はなく 諦めて 西に帰ったので 「 西帰浦(ソギポ) 」 という地名が 残っている

中国人が 蓬莱山(とこよのくに)と間違えるほど
この島は 神秘的な島で    
西海(東シナ海)の ど真ん中にあるので   
常に漢拏山(ハルラサン)には  雲がかかり  朝鮮雉が舞い イルカが 戯れる美しい島だ

しかし この弱小国は いつの日か  陸地(ユッチ・朝鮮本土)の属国となり 編入され
済州島は また 「 抵抗の島 」 で
高麗王朝が 元に 滅ぼされた際 高麗王朝の残党が 最後まで 抵抗したのがこの済州島
           これは済州島人が 望んだものでは・・・

朝鮮戦争の時は  もっと  悲惨で
済州島が 北朝鮮軍の ゲリラ活動を行っている  
支援していると 考えられ(もちろん済州島パルチザンはあったが・・・)
韓国軍による 虐殺事件(30万島民の内 8万人)が ・・・が起きた
まるで日本の 沖縄のような 歴史をたどった済州島は 独自の 文化を持っていた
言葉は 方言の域を出てしまうほど 違い それに伴い 文字も 若干違っていた
           その点では 韓国の一部とは  いえないかも・・・

他の地域と まったく違う経緯(中国にプレゼントされたことも)と 文化を持つ 地域が
平穏に 過ごせる  筈も・・・
当然のように 陸地の人から  差別され 
「 済州島は 言葉もしゃべれない 野蛮な島  」  
・・・がいつのまにか 「 怠け者 」 などといわれ 今でも 寄ると触ると 差別をして・・・

いったいどういうわけか 在日社会のほうが  圧倒的に 済州島を嫌い 馬鹿に・・・
開口 一番
「 それにしても 相変わらず 済州島は ダメだなぁ とにかくクズしかいない
あんな 馬鹿達と 同じ 韓国人と いわれたくない    」
・・・という旨の・・・
口先だけは 一丁前で 「 在日韓国人に  平等を! 」 などといって・・・
自分が 更なる弱者(マイノリティ)を  差別しておきながら とんでもないことで・・・

結婚でも この差別は続き 
「  済州島人 だから 」  ・・・という信じられない理由で  破局を迎えたカップルは かなり多い
見合いでも 「 済州島人以外 」 という条件を  よく耳に・・・
韓国人差別 ・学歴差別等を どう考えているのでしょう?
差別されることが 嫌なこと 理不尽なことだと 思わないのでしょうか?
公平に見て 民族(地域)差別 (済州島差別を含む)は 学歴差別以上に 理不尽だ

創作続編 ・第27話・・・・・ 『 予  兆  』-2
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  by raymirainya | 2008-12-20 12:09 | 創作続編27-2

戦後の発展に終止符

約60年

右肩上がりの経済成長にも、終止符

付随し連動して日本という国が滅び崩れてゆく

グローバルという名のスキーム

仕掛けが大きすぎる

戦略と戦術、これからどの国が躍り出てくるのか

やはり、中国やインドブラジル、ロシアなど、国土が広く自然資源と人を有した国々だと思う

数十年前には、日本も海外に移民し出稼ぎに行っていた

また、そんな時代がくるのだろうか、、、?


2008年12月19日(金)・・・晴れ・・・11℃~3℃

※それでは、創作続編 ・第25話・・・・・ 『 それぞれの思惑  』 にひきつづき

※        創作続編 ・第26話・・・・・ 『  感      激   』 

※        創作続編 ・第27話・・・・・ 『  予      兆   』 を、お届け致します。


・Part ( 1 )・・・  《  ヨンスの・・・   無     情   》   


♭・・・バックには  メロディが流れている・・・    神聖で 悲しげな あの  アヴェ マリア の曲が・・・


*ニューヨーク~~ボストン~~ハワイ~~夢の旅行から帰って・・・およそ 1ヵ月後。。。


      1ヶ月間もの  ロングバケーションで

   ミンチョルとの   夢のような海外での思い出の数々を

抱えきれないほど作ったヨンスは  ソウルに帰韓後  ひどい貧血症状に襲われ

        悩ませられるようになっていた・・・  家族に余計な心配をさせまいと 一人黙って耐え・・・

  折角  健康を取り戻し 一年ほどは   我が家で楽しく健やかに過ごしていたのに・・・

ほんの一年ほどしか  暮らせなかった新婚生活が  まるで  何年も昔のことのように  思えてきた

 ミンチョルと旅した  ついこの間の  幸せだった  夢のような生活は・・・

   急に 何処に 消え去えろうと  しているのだろう・・・   

   最近の体の不安が ヨンスを弱気にさせ 胸を 痛めさせていた・・・

そんな  ある日

   デザイン教室で  いつものように生徒に指導していたヨンスは

♭ 急に体がふらつき デッサンしている生徒の体に 突然として倒れ込んだ

    何も気がつかなかった生徒達は 急な出来事に 一斉に悲鳴のような驚きの声をあげた

   「  先生ーっ  せんせいーっ !!! どうしたんですかっ !!! せんせいーっ !!! 」

   ヨンスの耳には そんな叫んで呼んでる声が かすかに聞こえたが 応えようとしても声にならなかった

    それどころか     意識がどんどんと薄らぎ      遠のいて行った

    生徒達はざわめき始め ・・・  それぞれが オロオロしだした

    しかし倒れたヨンスの体は 既に全身の力が抜け ピクリとも動かなかった

                  その 瞼も 閉じられたままだ・・・

                息する呼吸も 異常に回数が 少ない・・・

              脈も・・・ 生きているのかと疑うほどに 弱い・・・

「  誰かーっ !!! 早くっ 救急車 !!! 救急車を呼んでーっ !!! はやくーっ !!! 」

    しばらくして ようやくサイレンの音が  けたたましく鳴り響き

    デザイン学校の前で その音は鳴り止んだ

既に学校の前は なにごとかと 野次馬で人だかりの波ができていた

タンカに乗せられたヨンスが 青ざめた顔色で 意識無く運ばれていく・・・

生徒たちは  ご主人のミンチョルさんの携帯番号を    必死に調べはじめた

        女子の生徒が  失礼だと 知りながら 何か手がかりがないかと

 ヨンスの持ち物を探し そして見つけた バッグの中を調べた

            あったー!!!  携帯が 有った このメモリーの中には 

             必ず 家や 家族の人の番号が ある筈だと

               し か し 残念ながら 以 外 に も

                 ヨンスの携帯にはロックが掛けられ

                    操作が不能だった

                    暗証番号がわからず

                 開くことが 出来なかった 

                 ミンチョルに疑われ 叱られてからは  

               ロックを掛けるようにしていたのだ ミンチョル以外

   学校の届け書類のなかにも 主人の それは書かれていなかった

     こんな日の今日に限って義妹のミンジも 他の美術研修で外に出かけてしまっていた

 その研修場所も 今日に限って  直帰するからと ヨンスにしか場所を 伝えていなかった

  しかし 自宅の連絡先がわかった そして生徒の一人が 家に連絡をするため  あわてて電話をかけた
rrrrrrrrrrrr りりりーーん   rrrrrrrrrr  りりりーーん rrrrrrrrrrr   りりりーーん  rrrrrrrrrrr

誰も     家には居ないようだ・・・  あきらめて電話を切ろうとした その時 !!!

受話器が・・・    ガチャッ !!! と鳴った

    「  あっ !!! もしもし  もしもし  そちらはヨンス先生のお宅でしょうか   」

    「 あぁ  もしもし  李ですが    」

「 あ~ぁ  よかった  みえて~  もしかして  お父様でしょうか   」   

「 あぁ  そうだが   あなたは   いったいどこの誰だね   」

    「 あっ  すみません  気が動転して慌ててました   失礼しました   」

「 わたしは  先生に教えていただいているデザインスクールの生徒で、アン・チュオンと言います  」

    「 ふ~ん そうかぁ   それで何か用でも有ったのかね  今は私しか居ないのだが   」 

    「 実は   せんせいが  ヨンス先生が   授業中に倒られました  」

「 なにーっ !!! もう一度 !!!  もう一度いってくれないかっ !!!   」

「 せんせいは意識不明で  ソウルの救急指定病院に  救急車で先ほど運ばれました  」

「 ご主人の携帯に連絡しようとしたんですが  分らなくて  ご自宅に連絡をしました  」

    「 そりゃ  わざわざ  ありがとう  わるかったね   お礼を言います   どうもありがとう   」

ソンチュンは急に血の気がひき 心臓がおどりだし 動揺の色を隠せなかった

あまりにも 突然のことに ただオロオロするばかりで 手足までもが 震えだしてきた

どうしてこんな時に限って ミンジは傍に居なかったんだ・・・

創作続編27-1
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  by raymirainya | 2008-12-19 14:47 | 創作続編27-1

アースマラソン

お笑い芸人の間寛平が、昨日の昼に大阪を出発
千葉まで600Kmほどをマラソンで、後は、ヨットで太平洋~アメリカ大陸~大西洋横断
およそ、36,000kmの挑戦
59歳なのに、すごいなぁ


2008年12月18日(木)・・・曇り・・・12℃~3℃

※創作ストーリー
・続・美日々第25話~が有ったとしたら・・・第 2 6 話 『  感   激   』

※それでは、創作続編 ・第25話・・・・・ 『 それぞれの思惑  』 にひきつづき
※        創作続編 ・第26話・・・・・ 『  感     激  』 を、お届け致します。


Part 5、《 ミンチョル&ヨンスの・・・   忘  れ  え  ぬ     Hawaii  !!!!!!  》


*飛行機の窓から、太平洋に浮かぶアメリカ 50番目の州、ハワイ州の8つの島々が、遠くに小さく見え出してきた。(内、3つの小島は、ちいちゃくてわかんないほどだけどね)

不思議な感覚だった・・・ つい数時間前までは、大西洋を目の前にしたボストンとニューヨークに居たのに・・・
東から西の方角に向うフライトは、偏西風により抵抗が強いため11%ほど余計に時間を費やしてしまう
が、もうオアフの島が大きくなって来た。

ソウルの気候とはまるで異なって、この世の楽園かのような 暖かなハワイオアフ島ではホノルル国際空港に着いて、まず2階の入国審査場へと行った・・・「Non-Residents」(非居住者) の列に・・・やはり人が多い・・・並んで順番を待った・・・その時!!!  どこの空港でもそうだが、麻薬犬が何匹か近づいてきてヨンスの所に来た。ヨンスは動物が好きで特に犬好きだったので、「 ヨシ ヨシ いいこ いいこね 」となでてしまった。警察官が驚いて謝った・・・こんな事はけっして今までになかったことだ・・・人に撫でてもらうなんて・・・空港に居る犬は、入出国者の荷物の中の匂いを嗅ぎつける事が本来の役目であるから・・・

そしてようやく順番が来た・・・パスポート、出入国カード、税関申告書等の必要書類を提出し、滞在期間、渡米目的などをミンチョルは雄著な英語でペラペラと口頭で答えた。

Q :  How long will you stay in the United States? / アメリカに  何日間滞在予定ですか。
   (ハウ ロング ウィル ユー ステイ イン ザ ユナイテッド ステイツ)

A : . 26  days. (ティンティ シックス ディ ズ) / 26日間です。・・・但し、ハワイ州は8日間になるが・・・

Q :  What's the purpose of your visit? 
    (ホワッツ ザ パーパス オブ ユア ビジット) / 入国の目的は何ですか。
     
A :  Sightseeing.  サイトシーイング)  /   観光です。

パスポートに入国スタンプを、出入国カードには滞在期間の年月日を記入してもらい、半片をパスポートに添付してもらった。捺印された税関申告書を持って、エスカレーターで1階の手荷物受取所(バゲージクレイム・Baggage Claim)へ向かいターンテーブルから荷物を受け取り、つづいて税関(Customs)でパスポートと税関申告書を提出し、検疫の検査は特別になかったが、持込みや、みやげ物についての質問に答え

Q :  Do you have anything to declear?
     (ドゥ ユー ハヴ エニシング トゥ ディクレア)   /   何か申告するものはありますか?

A :   Nothing.  (ナッシング)   /   いいえ、何もありません。

申告書に係官のサインをもらい、ブルーラインとレッドラインに分かれていたが、係官の指示に従いブルーラインに沿って歩き、さっきサインをもらった申告書を空港出口で提出した。 

外にでると、ハワイの明るい陽射しが少し眩しく感じられが、吹き抜ける心地よい風や晴れ渡った青空がハワイに着いたことを実感させてくれ、数人の若いサービス嬢たちから、それぞれ歓迎のレイを首に掛けられ、はにかみながらも嬉しく、その甘い香りと開放的な気分で常夏の倖わせを感じとった。

迎えに来ていたリムジンに乗り込み、45分ほどでワイキキの伝統ホテル、絵のような風景の中にたたずむ「太平洋に浮かぶピンク・パレス」 ザ・ロイヤル・ハワイアンに到着した。


ハワイの贅が溶け合ったロイヤルタワーの客室からは、太平洋を一望に見渡せるバルコニーがあるエレガントな部屋で、温かいマゼンタと薄青緑色の厚いカーペット、天井から下がるクリスタルのシャンデリア、どっしりとした天蓋つきのベッド、洗練されたクィーン・アン様式の机とタンス。アチコチにおかれている物には、ハネムーナーへの ネームタッグとネーミングが、«ミンチョル&ヨンス» とそれぞれに施され用意されていた。(英語のスペルで)・・・これは全てミンチョルの優しい手回しだった。・・・ラグジュアリーなスティが楽しめそうだった。

ホテルのロイヤルタワー最上階の、部屋のバルコニーから眺めるロケーションは雄大で美しく、絶え間なく押し寄せる波、昼間はまぶしい太陽が燦々と降り注ぐ砂浜、潮風に吹かれしなやかにゆれる椰子の木々、美しいシルエットを映し出す緑の山並み、夕方には、茜いろに沈んでいく夕日と 染まっていく海の色とが 大自然のあざやかなコンビネーションをかもし出し、身も心もハダカにしてくれ素顔の自分にさせてくれた。。。そして、朝、早くには大海原に夢の中にいるような、大きな虹がかかって。。。

翌日の朝、二人はハワイアンスタイルに着替え、朝食にブッフェを・・・種類が豊富で好きな具を選んで食べ、目の前で作ってもらうオムレツのサービス、それと、テーブルクロス、花瓶、椅子のクッションがピンクで、当然、スタッフの方々の服もピンクで・・・♪とにかく、ピンクで何もかもが統一されてて、店で、サインをする時のペンまでもピンクで、二人はビックリ&顔をみあわせ  プッ!!!  と笑った。

朝食が済んだ後、超豪華な最高級リムジンが、ホテルに横付けされ待っていた。

いよいよハワイの観光廻りだ !!!!
サン・スーシー・ビーチへ~ワイキキビーチ沿いをキングコングが空を向いて寝ている姿だと言われるダイアモンドヘッドの(標高は232m)の方に~潮吹き岩~カピオラニ・ビーチの辺りまで来ると、人が少ないからか海がキレイに見える~ホノルル水族館の横を通り過ぎて5分ほどでサン・スーシー・ビーチに、ここはワイキキ・ビーチと海の色が違う~そして、シーライフパークへ、イルカやアシカのショーをみて~ドールパイナップルパビリオンのほぼ中央部にある施設まで、途中一面のパイナップル畑をたくさん見てきているので、やっとパイナップルを食べられる、パイナップルの甘さはジュースも絞りたてでとっても濃厚な味~ポリネシア文化センターへ~ポリネシアン・カルチャー・センターポリネシアというひとつの文化圏を実感できビーチもキレイで空いている~ダウンタウン カメハメハ大王像とイオラニ宮殿~、その他にも、オアフ島にはカイルアビーチ、サンディビーチ、サンセットビーチ、ワイメアベイ・ビーチパーク、ハレイワ・アリイ・ビーチパークなどの美しいビーチがたくさんあった。

そして、ホテルのディナーに出かける時には、ビーチファツションの素肌露出の昼間のハワイアンルックとは異なり、思いっきりの ドレスアップをして、デラックスなロイヤルディナーのひと時を堪能した。

ディナーから戻り部屋でもう一度シャワーを浴び、バスローブに着替えて、ブランディ片手にバルコニーから見る夜景は、昼間とはうって変わり、ムーディでロマンチックに見事なほどにまでようそうをさま変わりさせ、夜空に光る月も、無数の輝く星も、まるで手が届くかのように近くに見え、キラキラと輝きを放ち、充二分な程に二人の心を和ませ満喫させてくれた。

そのムードに、しっかりと酔いしれた二人は、やがて、ミンチョルがヨンスをボディダッコで体を抱きかかえ、優しく迎えるベットルームへと向った。。。

甘~い・・・しびれるようなもだえ合っている声が、微かに洩れ、聞こえてくるようだった。。。。。
翌日も爽やかに晴れ渡っていた・・・
澄み切った青空の下での、何かに付けアクティブなミンチョルと、コ・オリナ・ゴルフクラブでのカートに乗ってのゴルフ・・・今まではテレビでしか見たことが無かったが・・・ サテどうなるか  ヨンス!!!
ブーゲンビリアなどの熱帯植物が彩りを添えているコースは、目をみはるほど美しく、高級感にあふれていた・・・コースには池、滝、クリークがいたる所に配置され、風の影響もあって、戦略性の高いコースになっている・・・ここの乗用カートはGPSが装備されていて、各ホールともピンまでの残りヤード数が一目瞭然で判るようになっていた・・・

ヨンスにとっては、生まれて初めてのゴルフだが、ゴルフシューズに履き替え、ウエアーも着替え終わってロッカールームから出てきたとき・・・レディス用の軽量でできている貸しクラブをミンチョルが持ってきてくれた・・・グローブをかけサンバイザーを被って練習場へと向った。

ヨンスはソフトボールか野球をするかのようにクラブを振り回した・・・ミンチョルはそんなヨンスに優しく手取り足とりで教えた・・・グリップ~スタンス~スイングと大まかなレッスンをし終え、ミンチョルが運転するカートに乗ってスタートホールのアウトコース一番ホールへと向った。・・・通常は、ワンパーティ(1組)四人でラウンドするのだが、前後のパーティに迷惑を掛けまいとし、料金は高くなるが二人だけで気兼ねなくラウンドできるようにキャディマスターに承諾を得ていた。

ティアップしてドライバーを握り、フルショットで思いっ切りよく振り切ったミンチョルのボールは、ややドローがかかって遥か彼方のフェヤ-ウェイまで飛んでいった。・・・グッド ショット だ !!!!

つづいて、いよいよヨンスの番だ !!!!
ティグランドのラインからはみ出ないように、ミンチョルがティアップした・・・ヨンスはミンチョルの言ううが侭にアドレスし、素振りを何回もした・・・そして、ボールをみて思いっきり振った・・・エッ !!!  だけど、ボールはそのままアル? ウッソー!!!!?  なんで~?・・・そして、また打つ!・・・やはりボールはそのままだ・・・ヨンスは不思議に思った?・・・そんな空振りを5回ほど繰り返し・・・ミンチョルがいうままオーバースイングせず力を抜いて右肩から左肩へのコンパクトなスイングでソーッとおとなしく振った・・・当たった !!!! ナイスショットだ!!!! 前にボールは飛んでいった・・・生まれて初めてのスタートホールのティグランドを後にし、ボールのある位置へとカートに乗って進んだ。

ミンチョルの残りは、約150ヤード・・・7番アイアンを持ってピンにデッドに打ち込んでいった・・・グリーンに乗った・・・ナイスオンである・・・つづいてヨンスだ・・・残りは約250ヤードだ・・・スプーンを言われるまま持って振った・・・さっきのティショットと同じだ・・・何度振っても当たらない・・・やっと当たった・・・だけどボールの上を叩いてしまった・・・チョロ玉だ・・・30ヤードほど右側のラフに行った・・・今度はミンチョルの言う通りクラブをウッドからアイアンに切り替え5番アイアンを持ち振った・・・当たったが40ヤードほど前の今度は左側のラフに入った・・・目の前で止まっているボールが打つのに上手く当たらない?不思議なゲームだ?・・・そんなことを繰り返しヨンスは18打目でやっとグリーンに乗った。・・・ヤレヤレである・・・今度はグリーンで待っていたミンチョルがパターに持ち替えカップ目掛けて打った・・・残り、12ヤードほどの下りのスライスラインにのり見事カップインした!!!・・・パー4のホールだから、バーディである。さすがだプロみたいだ!!!!! 今度はヨンスだ・・・残り10ヤードほどのやや登りのフックラインだった・・・強い!行きすぎ~ラインが違う~近くても、なかなか入らない・・・6打目のパッティングでようやく入った。ハァ はぁダ・・・結局、1ホールで24打、本来のルールなら空振りもカウントするので39打も打っていた・・・ミンチョルはスコアーシートに記録し次の池のあるホールへと向った。。。

フロントナインのアウトコースを終え、クラブハウスで1時間の休憩タイムを利用し昼食をとった・・・話はゴルフのことで興奮し夢中になっていた。・・・そして、バックナインのインコースへと向かい、18ホールをホールアウトした・・・ミンチョルのスコアは、バーディが5つ、ボギーが8つトリプルは無くって、グロスでのスコアはスリーオーバーの75だった。・・・ヨンスは286だった・・・空振りも加えたら・・・もう数えたくない、聞きたくない数字だ・・・しかし、スコアはさて置いて、楽しくって仕方がなかった・・・自分をこんなに夢中にさせるなんて・・・不思議なゲームだと思った。。。


夕方にはうって変わって、ポリネシアン・ディナー・ショーに出かけ、優雅なハワイアンを中心に強烈リズムのタヒチ、サモアなどの歌と踊りを織り交ぜながら繰り広げられる南国ショーとスターによる歌謡ショーを見ながら、ディナーを満喫した。


次の日は
優雅に、ラハマナスパール・ボートハーバーから、クルーザーで大海原を渡る風をきり、ダイナミックなバカンスで、ダイヤモンドヘッドを横切っての、快適なコバルトブルーの海での、ミンチョル操縦によるクルージングと、ホエールウオッチングをし、二人だけの、リゾートライフタイムを十二分に満喫した。・・・ヨンスは生きている絶頂感に酔いしれていた。

ミンチョルは、大西洋に面した港町ボストンへの音大留学時代に、モーターボートの一級免許を取得していた・当然のことながら、車の国際免許も持っている。

ミンチョルのスポーツ万能で、特にテコンドーや水泳で鍛えあげらた筋肉質で逞しく絞られた体は、この大海原が良く似合う・・・ 野心家で、見聞と視野が広く、気配りと優しさに溢れ、何をしてもサマになり、上手でカッコいいミンチョルに、ヨンスはより一層、感動をし尊敬し、惚れ直し骨抜きになっていった・・・ヨンスが知らないでいたミンチョルが、こん~なにもいっぱい居たなんて・・・嬉しさではじけていた。


この日の夜には、ディナーに出かけるため二人は、ドレスアップした・・・さすがに、やや日に焼けたヨンスは美しい・・・心底喜びを表し、背が高く綺麗なスラーッとした足、スーパーモデル以上のカッコいいスタイルのヨンスに、ミンチョルもニヤニヤとほくそ笑んでいた・・・アラモアナホテル最上階のレストランにつき、ステーキ&ロブスターのフルコースディナーを楽しんだ・・・まわりの人やすれ違う人など、何処かの有名スターかのような目で二人を見つめそして振り返っていた・・・その後、リムジンの送迎により、タンタラスの丘へと・・・ 100万ドルのすばらしい夜景が広がっており、特にホノルル空港から頻繁に飛び立つ飛行機の光がなんともいえない風情をかもしだしていた。ホテルからみる夜景とは一味も二味もちがっていた。。。

その夜の二人はいっそうと体がもだえ、燃えていた・・・リゾートでの開放感と、オーシャンビューが狂おしいほどにまでに、そう変貌させてしまい、マジックにかけられたような嬉しい本能のサガが・・・・・・ミンチョルのその抜群の超越したテクニックと野獣さとが・・・ ヨンスの身をくねらせ、陶酔させて理屈抜きに女豹にと変貌させていった・・・・・


翌日の朝食後は
中庭を出て、ロイヤルハワイアン・ショッピングセンターへと、大型の4階建てのモールで、東西に長いモールは、西側から順にハイビスカスコート、オーキッドコート、イリマコートと3つのエリアに分かれていて、3コート合わせて約 140店のショップやレストランがズラリ軒を連ね、カラカウア通りに面した1階には、エルメス、カルティエ、ブルガリ、フェンディ、フェラガモ、ハンティング・ワールドなど、いずれ劣らぬ高級ブランドの直営ブティックが並び、ゴージャスなウインドー・ディスプレーが・・・

もちろん、ブランド・ブティックのほかにも、バラエティに富んだショップが揃っていて、ハワイアンジュエリーやウクレレ、ハワイアンクラフト、キルト、レイなどハワイならではのアイテムを揃えた各専門店から、スイムウエアやリゾートウエア、スニーカー&スポーツウエア、子供服、サーフショップ、アクセサリー、時計、サングラス、Tシャツ、サプリメント、ギフトアイテム... さらには、ウエスタンファッションやスノボーのギア&ウエアといったとてもユニークなショップまであった。

そしてミンチョルはジュエリーの店 《 H・ロイヤル・ジェム・インターナショナル 》 に入った。
実は、1ヶ月以上前に、電話とEメールでオーダーしておいたミンチョルと同じの、ヨンスへのネックレスと、二人のプラチナのトレソロ(Tresoro)タイプの結婚指輪(マリッジリング)を受け取りにきたのだ。

その指輪の内側には・・・イニシャル以外に「FOREVER」  「FOREVER LOVE」  「WITH YOU」 などと刻みの彫を入れてもらう予定でいたのだが、パワーストーンは、あまり傷つけるものではないと言う事を知らされ、あえて文字数を減らし、身を守ってくれる守護石 水色がかった透明色のアメジストを、外側で無くあえて見えない内側に埋め込み、それぞれに 『 M to Y ∞ 』 ・ 『 Y to M ∞ 』 と、刻んでいた。。。  ∞ マークは = 永遠の真実の愛を意味していたのだ。

お互いに試着してみたが、サイズを報告済みだったので、まるで修正、調整は不要で驚くほどにピッタリだった。
ヨンスは予期してなかったプレゼントに、大喜びした・・・以前から、口にこそだして言わずにいたが、愛するミンチョルからのプレゼントで、一番欲しかったものだったから・・・

その後は、土産物を買ったりしショッピングをして楽しみ過ごした・・・買い物は全てエアー便での手配をして・・・
そして、ミンチョルはヨンスに悟られないようにハワイ州保険局へと向った・・・式の前日までに二人でパスポート を持って結婚申請書書類への記入手続きをしなければ「結婚許可証」を受け取る事が出来ない仕組みになっているからなのだ・・・申請後の所要時間が 約30分~1時間かかって、ミンチョルは、仮の「結婚許可証」を受けとった。・・・ミンチョルは全てが英語で書かれ、そして、全てを英語で相手と話したため、ヨンスに、その内容を悟られる事はなかった。・・・ヨンスはてっきり、旅行者特有の、わずらわしい何らかの証明手続きをしているのだと思い込んでいた。。。

創作続編 ・第26話-5
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  by raymirainya | 2008-12-18 15:50 | 創作続編26-5

冷たい小雨

今日は、病院にいかなけりゃ
車のブレーキ異常音が、ハンドルを右に切ったときに鳴る
なんかしら、気持ち悪い

帰りに東刈谷の握り一番で、酒を飲み寿司をつまんだ
ふと、右斜めまえのボックスに目をやると、瑠美ちゃんにそっくりの子がいた
こんなにそっくりな子をみたのははじめて、、
なんどもなんども目をそそいだ
相手も、なんとなくこっちを数回見ていた

でも、どう考えても明らかに違うはず、、、

2008年12月17日(水)・・・小雨・・・10℃~2℃

※創作ストーリー・続・美日々第25話~が有ったとしたら・・・第 2 6 話 『  感   激   』

※それでは、創作続編 ・第25話・・・・・ 『 それぞれの思惑  』 にひきつづき
※        創作続編 ・第26話・・・・・ 『  感     激  』 を、お届け致します。

Part 4、《 ミンチョル&ヨンスの・・・ 懐かしと 憧れの  Boston  !!!!!!  》

#ニューヨークJFK空港から、350kmほど(東京~名古屋位?)北へ離れたミンチョルが留学ホームスティしていたバークレー音大のあるアメリカ発祥の地、マサチューセッツ州の港町ボストンへと・・・移動飛行機はユナイテッドエクスプレスのフライトで、小型便しかないがプロペラではないし、比較的低空飛行のため景色もよく見え逆に軽快だ、二人は50分ほどで、ボストン・ローガン国際空港に到着した。

・わずか350キロの距離なら新幹線でビュ~っと行きたい感じですが、残念ながらアメリカの電車は日本ほど速いわけではなくって高速電車のアセラ・レジョナルとアセラ・エクスプレスの2つのサービスがあって、アセラ・エクスプレスを利用するとボストンとニューヨーク間は3時間半もかかって、最高速度は150マイルということですが、これでも日本の新幹線と比べるとまだまだという感じですから。

空港からはタクシーで、一路滞在予定のホテルに向った。。。
車窓から見えるボストンは、レンガ造りの建物、石畳など昔の面影を残し、風情ある町である。ニューヨークからおおよそ350キロ北に位置しているが、世界一の大都会であるニューヨークとは一転した味わいを見せてくれた。

クラシックな町並みといおうか、アメリカでありながらアメリカ的でない、ヨーロッパ的な光景がここかしこにみえる。街の中に古い教会が多く、空に突き刺すかのように尖った先の塔があちこちにそびえたっている。時代の新旧と、文化とが混在していることを感じた。

やがて、ザ・リッツ・カールトン・ボストン・コモンホテルに到着した。ここはチャーチル首相なども迎えた伝統と格式を誇るボストンのランドマーク的ホテルで、NYのセントラルパークと並ぶ、全米屈指の公園、ボストン・コモンを見下ろす事が出来る最高のロケーションに建つていて、先鋭のデザイナーが手掛けたコンテンポラリーなデザインで、今をときめく旬のホテルだ。さりげないけれど、とってもエレガントなエントランスで優雅な客室のインテリア、高速ブロードバンド対応などハード面も最高のグレードと、そして、肩の凝らないサービスで、一人一人をプリンスやプリンセス気分にしてくれる。

このホテルの場合は、12階がクラブ専用レベルになっていて、1Fのレセプションではなく、12Fの専用ラウンジでチェックインする場所になっていた。

部屋に案内され着替えも済み、シャワーも浴びてレストランでの食事を終えた後、部屋でくつろいでいた時

ミンチョルはブランデーグラスをかたむけながら、青春時代の4年間を過ごし住んで居たころを懐かしそうに思い出しながら、ヨンスに色んなことを話しはじめた。。。

「 ヨンスさん、このボストンってところはね~、17世紀にイギリスから宗教的な自由を求めて、メイフラワーII世号って舟に乗って渡ってきた清教徒(ピルグリム・ファーザーズ)たちが移民してきて、ボストンの南の『プリマス』というところに、やってきたのが始まりでね、地理的な条件から、次第にボストンに人が移住しだしてきて、17世紀の終わりころには一大都市となったそうなんだよ・・・その後イギリスの植民地として栄えたようだけどね・・・」

「 そのイギリスから独立するために、戦った歴史的な独立戦争の地で、アメリカの発祥の地としても有名なんだよ。今でもその発祥から独立までの足取りを街のいたるところで垣間見ることができるし、ボストンは大きく分けて4つの産業に支えられてるんだよ。学生、医療、ハイテク、観光産業なんだけど、全米でもチャールズ川って対岸の、ケンブリッジの街も合わせると、70近くの大学が集中していてさ、ハーバード大学やMIT(マサチューセッツ工科大)ななんかがあって、世界でも一番有数の大学が存在しているんだよ。それから、今でこそ西海岸の『シリコンバレー』が有名になっちゃてるけど、この東海岸では今でもボストンが中心となってハイテク産業が発展してるんだよ。」

ヨンスは  ミンチョルの話を  感心深げにうなずいて聞いていた。

「 それから、アメリカ入植当時の歴史的な建造物と近代的な高層ビル群とかが調和を奏でてる美しい街でさ、世界の四大美術館の一つだと言われてる「ボストン美術館」や世界屈指のオーケストラの「ボストン交響楽団」のホームホールであるんだよ。、ヨンスさんを連れて行くつもりなんだけど、シンフォニー・ホールもあるし、芸術の香りもすごく漂ってるんだ。」

ヨンスはミンチョルに連れて行ってもらえると聞き、心が弾んだ。

「 もともと湿地帯を含んだ半島だったらしくってね、日本の神戸のように100年以上も前に、半島部分を埋め立てによって今の形に作り上げちゃったもんだから、複雑な道やら坂道が多いところと、きれいに碁盤の目のように整備された地域とに分かれちゃっててさ、ボストンコモンとパブリックガーデンの間を走ってるチャールズ通りってところは、もともとは海だったらしいんだよ。それと赤い線は、ボストンの観光地を歩いて回れる『フリーダムトレイル』って目印なんだよ。」

何も分らないヨンスは、ただ懐かしそうに話し続けるミンチョルの想いを感じていた。。。

窓側に立って外を二人で眺めながら・・・

「 ほらっ あれっ あの真中に流れる川がBoston市と Cambridge市を分けるCharles River (チャールズ川)って川で、向こうのケンブリッジ側から見るボストンの景色は最高でさ、特に夜は川に夜景が写って最高にきれいなんだ。ここからでもきれいだろ!?」

「 それと、そこにみえるコモンってPARK(公園)はね、あえて"COMMON"(共有地)って言う言葉を使っている理由はさ、もともとが公園 としてできたわけじゃないからなんだよ。ボストンの・ダウンタウンの真ん中に、どーんとあってさ、あの緑の地域はアメリ カ最古の公園なんだよ。ボストニアンは、実は公園としてできたわけじゃなくってね、植民地時代 の、植民地市民が、おもにピューリタンのために購入した、もともと私有地の土地だったんだよ。50エーカー の敷地内にはね、セントラル墓地Central Burying Groundや種々のメモリアルがあるんだ。トレモ ント・ストリート沿いの観光案内所にはね、ガイドブックやパンフレット類がそろってて、さっき話した観光名所を表してる、赤い線で始まる、フリーダム・トレイルの出発点にもなっているんだよ。 」

ヨンスは  その道を  辿り歩いてみたい  衝動にからわれた   ミンチョルの青春の地だから
「 7月4日がアメリカ独立記念日だということは知ってるでしょ? 実は、ボストン・マラソンもこのアメリカ独立に由来してるんだよ。  」 

ニューイングランドと呼ばれるアメリカ北東部の6州が、アメリカ初期のおもかげを色濃く残してるのも、その中心都市マサチューセッツ州ボストンが、同じように、歴史という共通点を持った、日本の京都と姉妹都市を結んでいるわけもこれでうなずける。

「 それと、ボストンにあるハーバード大学は超エリート校でさ、アメリカ最古の大学としての伝統からか、6人もの合衆国大統領と、30人以上のノーベル賞受賞、30人以上のピュリッツアー賞受賞をを輩出しているんだよ   考えてみるとすごいことだよね    」

「 気候も 春、夏、秋、冬  と 四季があって   韓国に似てるしね    」

「 あぁ  ちょっと酔ったみたいだ    」
「 ヨンスさんも  疲れたでしょ   もぅ  寝ようか   」

「 ん~ン  あなたと   ず~っと一緒だから   つかれない   」

そう言いながら、ミンチョルはヨンスの手をとりベッドルームへと部屋をうつした。
二人の体が、光沢を放つベージュ色をしたキングサイズのベッドの中で、甘く絡み合っていた。。。。。
翌日、モーニングを終えコーヒーを飲んだ後二人は出かけた。。。
ミンチョルは、美術の好きなヨンスに、何よりも自分が学生時代に4年間住んでいた居たこの町と、かの有名な ボストニアン自慢の『ボストン美術館』を、生の自分の目で見させ、肌で感じさせ体感させて喜こばせたかったのだ。まず最初に今日は、美術館へと...

「 ヨンスさん  実は  僕はね  留学してた時でも  3回くらいしかここには来てなかったんだよ   」
「 今まで 美術品にはあんまり興味が無かったんだけど   」
「 僕にも  どうやら ヨンスさんのが  移ってしまったようだ    」

「 うフフフ   ホントに?   じゃ~  あやまらなくっちゃ  いけませんね   」   嬉しそうに笑いながら

入り口は正面と西側(ウエストウイング)の2つあって、電車で行くならば西側の方が便利なところだ。
広すぎもせずわりと落ち着いた感じで、見て回るには丁度いい大きさの美術館。常にボストン、及びボストン美術館を愛する人達に支えられてきたのが特徴の1つで、。オープン時には、35セントとか50セントとかの「貧者の一灯」が相次いだというのもうなずける。1981年には西側に日本美術を初め、アジア美術のセクションとして新館もオープンさせ、一層と面積が広くなった。さらに建物正面には馬に乗ったインディアンの銅像が建っていた。

「 館内の作品のほどんどは  人々からの貸し出しや  寄付によるものが多いんだよ    」
「 だから  作品の解説の所を見るとね  誰が寄付したのかが  よく解るようになっているんだ   」

「 ステキなはなしね   それこそ ほんとの芸術だわ   なかなか出来ないことだもの    」

「 ここはなんと言っても  見所は2Fの  Evans Wing  と呼ばれてる回廊なんだだよ   」

「 ヨーロッパの絵画が必見でさ、モネの”La Japonaise”(「日本衣装の女」)やら ”Water Lillies”(「睡蓮」)、ゴーギャンの大作 ”D'ou venons? Que sommes-nous? Ou allons-Nous?”(「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」)や、ルノワールの”Dance at Bugival”(「ブージヴァルの舞踏会」)などの絵は、知らない僕でも惹きつけられちゃうくらいだからね・・・  」

「 それから、かつて日本の岡倉天心という人が、ここで東洋美術研究をしていたとかで、日本絵画も充実しているんだよ。特に、浮世絵だとか、北斎、広重、歌麿の絵がまじかで見られるんだ。 ヨンスさんは浮世絵って興味ないのかな?  」

「 本で見たことはあるけど  なんか不思議な感じがしたわ  チョット  エロチックで   」  
館内の、天心園という日本庭園は絶賛の景観をみせていた。美術館の東洋美術部門における岡倉天心の功績を記念して作られたもののようで、例えば、浮世絵版画は7万点と、世界一の規模を誇ってて、陶磁器は6000点を数え、これは、古くからのボストンと日本との深い関係を象徴しているようだった。・・・二人はその状景を感心してみた。
ボストン美術館は日本美術のコレクションで有名で、日本刀なんかもたくさん展示してある。浮世絵も「名所江戸百景」がずいぶん集められていて、いちいち細かい解説がついている。「深川万年橋」の絵には、万年橋ブリッジの万年は、テンサウザンズイヤーズの意味で、橋の前景に亀が描かれているのは日本では亀はテンサウザンズイヤーズ生きる動物とされているからだ。
名古屋ボストン美術館が、名古屋市中区・金山総合駅のすぐ近くに1999年4月17日に開館しました。特色としては、ボストン美術館と姉妹館であること、ボストン美術館のコレクションの専用展示館であることです
西側入り口横には館内で一番大きいミュージアムショップがあって、記念品を売っていた。カレンダーやボストン美術館所蔵の美術品をモチーフにしたアクセサリー、スカーフなどが人気のようで、それぞれの箱の中には、そのアクセサリーやスカーフの基となった作品の説明も入れてくれ、館内の売店はファニエルホール・マーケットプレイス、コプレープレイスにもあるので、時間に余裕のない人はあせって買い物をする必要はないところなのだ。
ヨンスは食い入るように鑑賞した。。。
*ブージバルのダンス:「Dance at Bougival」 ピエール=A.ルノアール(1883)1882年より83年にかけての男女がダンスをする様子を描いたダンス3部作の1つで、「ブージバルのダンス」の後に描かれた他の2作品:「Dance in the City」と「Dance in the Country」はパリのオルセー美術館に所蔵されており、この作品の舞台となったブージバルは、パリ郊外にあるセーヌ川に面した小さな街で、青年時代のルノアールは仲間と踊ったり騒いだりを楽しんでいたらしい。モデルとなったのは、ルノアールの友人のロートとシュザンヌ=バラドン。シュザンヌは後に画家となって、ユトリロの母となることでも有名で、この絵のモデルとなった時は、わずか16才の若さで、 シュザンヌがかぶっている帽子の華やかな赤が、絵を見る者の視線をひきつけ、彼女の楽しそうな様子がさらに強調されていた。
:ヨンスには、2人の帽子、肩、ジュザンのドレスの裾・・・と多くの丸が効果的に使われていて、若い2人がダンスをしている躍動感が伝わってきた。 さらに奥の背景には、テーブルを囲んで談笑する人々が描かれていて、この絵がいっそう華やかになるように工夫がされていた。 テーマも色彩も鮮やかなこの作品は、見る者の心を健康的で楽しい気分にさせてくれるようだった。印象派の作品は、見えた物をそのまま描くのが特長なのだが、 ルノアールはこの絵の中に通常なら描かないような物までを、律儀に再現していた。ダンスをする2人の足下を見ると、何と煙草の吸い殻にゴミまでもが繊細に描かれていた! ・・・ヨンスは、感動していた。。。
*種をまく人:「The Sower」 ジャン=フランソワ=ミレー(1850)ミレーの友だちでボストン在住の画家でもあったウイリアム=ハントが、かなり早い時期にミレーの絵の価値に気付き、当時の、フランスでは一般的な絵の常識をくつがえし、どこにでもあるような農民の日常生活を描くミレーの絵に対して、あまり好意的ではなかった。。

創作続編 ・第26話-4
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  by raymirainya | 2008-12-17 12:48 | 創作続編26-5

なんかしら ピンとこない年末

年の瀬のあわただしさを、まるで感じない

2008年12月16日(火)・・・晴れ・・・13℃~3℃


創作ストーリー・続・美日々第25話~が有ったとしたら・・・第 2 6 話 『  感   激   』

※それでは、創作続編 ・第25話・・・・・ 『 それぞれの思惑  』 にひきつづき
※        創作続編 ・第26話・・・・・ 『  感     激  』 を、お届け致します。


Part 3、《 ミンチョル&ヨンスの・・・ 二 人 だ け で   New York !!!!!!  》


*ヨンスは医大のソン・ギュトン担当医から、まだ子供を作らないように・・・(そんな事になったら身が危険)と、念を押され、そんな夢のようなことは、あきらめ覚悟はしていたものの、分かっていながらも相当なショックを受けていた・・・ 愛するミンチョルの子が早く欲しかったのだが・・・

又、一方ソン・ギュトン医師は、ヨンスの手術成功後の骨髄適合状態に深い疑問をいだいて色んな角度からの研究調査をし続けていたのだが、そんなある日に意外な事実に突きあたっていた。

その意外な事実とは、日本の骨髄提供者のドナーとヨンスとのDNA遺伝子基礎配列を更に奥深く探求したところ、鑑定結果が塩基配列パターン親子の肯定率=99.999%と出ていたのだ!!!!!!。
さすがに、ソン医師も驚嘆した!!!!!。
《 これはっ  これは  一体どういうことなのだ・・!?  》 ・・・ヨンスさんは天外孤独の身の上で、親族は誰れ一人居ないとなっていたのに・・・・・?  しかも、日本でのドナーが・・・???  何かが、隠されている・・・!?

早速、日本の骨髄バンクや、学会の知人である医大の医師のルートなどを通じ、正確な情報収集とリサーチをし始め、その旨を依頼していた。。。

「 医療分野の科学技術は予想以上に進んでいる  データは 決して嘘はつかない 」 窓際に立ち外を見た


*そんなある日、ヨンスはミンチョルから、海外出張に同伴するようにと、ヨンスは突然言われた。
ソン・ギュトン先生からは保障つきの OK承諾を得て、念のために海外での病院も万が一のため紹介された。
実は、ミンチョルは、医大のヨンスの担当医であるソン・ジュトン先生には事前に真意を伝へ、既に了解を得ていたのだ。・・・それを、あえてヨンスには内緒にして・・・

ミンチョルは日本の東京、アメリカニューヨークとEメールで事前に詳細内容を伝え、要点を絞り簡潔ににテキパキ手短かに仕事を済ませるつもりでいた。
体調がすこぶる安定して健常者と何ら変わりなくなってきていたヨンスを連れ、今回の海外出張では、東京~ニューヨーク経由で、留学していた歴史ある町ボストン市と、帰りにハワイに立ち寄り二人だけの秘密裏な、リフレッシュを計画をしていたのだ・・・。(v^^)

ミンチョルの今回の意図は、国内から未だ一度も海外に行ったことの無かったヨンスへのプレゼントで、ヨンスの好きな美術館巡りや、ささやかな新婚旅行は皆の助けお陰でしてはいたものの、自分の力とプランで、ヨンスに♪☆プレゼントしたかったのだ!!!!。そんな思いがズーッと、モヤモヤと頭の中で燻っていたのだ、誰にも何事にもじゃまされたくない、されない、実は、そんな 『二人だけのスイートな旅行』 だったのだ。
(ヨンスの体の疲れを気遣い、ダイヤ・決められたスケジュールではない、フリータイムでオープンな自由気ままな余裕のある、ゆとりの旅行にしたかったのだ。)

今回の海外出張先、日本、アメリカへの事業提携の視察と商談打ち合わせには、1ヶ月といつもとは違い期間も異常に長く、ヨンスと二人だけで、ワイドシートでゆったりくつろげるCクラス(エグゼクティブクラス)を手配して・・・

ミンチョルは不在時の会社の代行者にキチャンをを選び、全面的に権限と責任の委任をした。
ヨンスもミンジに家のことなど諸雑用を頼み、セナやナレにも話しデザイン学校へも長期休日の届けを出していた。
ミンチョルは緊急時の連絡が直ぐ取れるようにと、抜かりなく携帯電話機能も、国際電話サービス&国際ローミングサービスの二つのジャンルのオプション契約を追加していた。

初めての飛行機、初めての海外、何もかもが初めてずくしでヨンスの心は喜びと嬉しさでハジケていた。
しかし、その日が近づいてくるに従い興奮して眠られなくなってきていた。
荷造りは十分に何度もチェックし、洩れや忘れ物は無いはずだが、それでもなかなか落ち着けなかった。

「  ねぇ  ねぇ   あなた  あなた~ったら  もぅ 寝ちゃったの   」

興奮して寝付けないヨンスに反して、ミンチョルは、気持ち良さそうにスヤスヤと寝息をたてていた。。。


*そんなある晴れ渡った日、仁川国際空港から、まずは、近くて遠いと言われている国、日本の東京へと2時間半のフライトの途に着いた。
空港には、ソンチュン、ミンジ、キチャン、キュソク、ユンジュ、それとラスベガス公演に出かける前のセナとナレたちが見送りに来てくれていた。ソンジェは国内の旅に出ていたが・・・

成田空港に着いたミンチョルとヨンスは、迎えに来ていた車に乗り込み東関東自動車道を通り、首都高速湾岸線を抜け台場線に入り、レインボーブリッジを通って六本木のグランドハイアット東京ホテルに到着した。
ホテルの周りには、六本木ヒルズ、テレビ朝日が直ぐ隣に見え、国立競技場、神宮球場、明治神宮外苑、東宮御所などが目の前に見える。・・・六本木の町と赤坂がよく見える。

「 ヨンス  どうだい  日本は   」

「 えぇ  ソウルの街とよく似てると思ったわ   」
「 でも  来る途中で  車が左を走って行くので  何だか  気持ち悪かった  」
「 それと  もっと時間が掛かると思ってたけど  直ぐ着いちゃって早いのに驚いちゃった  」
「 こんなに  近かったのね  」

夜、ホテルのレストランでディナーの後、六本木、赤坂の町へと、ミンチョルとヨンスは二人して出かけた・・・

翌日、翌々日と、ミンチョルは一気に東京での仕事を休まず精力的にこなし、予定していた商談と契約はすべからくうまく成立した。
それぞれの関係先から、歓迎のパーティが用意されていたが、今回は全てを丁重に断った。
ホテルで自分の仕事を一人待ちわびているヨンスに、余計な気苦労や気遣いをさせて疲れさせたくなかったのだ。二人だけでホテルの部屋でくつろぎ、邪魔されずに楽しみたかったのだ。。。
しかし、4日目には早やホテルをチェックアウトし、成田へと向った。。。

「 日本は近いから いつでも直ぐ来られる  又  今度ゆっくりと来よう   」 と、ヨンスに言って・・・

あくまでも東京では、仕事が全てだった。。。
但し、ホテルの夜のヨンスへの仕事も,しつこいくらい十二分にしちゃったけど... ( ・∀・) アヒャー


*成田空港第1ターミナルは、チェックインカウンターからイミグレに至るまで、すべて待ち時間ほぼゼロで通過し、厳重な荷物検査も無く、拍子抜けしてしまうほどだった (^^;)
成田→ニューヨーク運行距離(13,490マイル=1マイル=8ハロン≒1,609.メートル(主に陸上)とする場合と1マイル=1,852メートル(主に船や飛行機)) までの往路は12時間、復路は14時間かかり、とんでもなく長い時間だ。・・・ヨンスのコンデションだけが気がかりだった

アメリカン航空のファーストクラスは定員18名 個室タイプではなかったが、シートはもちろん180度リクライニングできるフルフラットで、居住性は申し分はない。
飛行中のエンジン&風切り音をシャットアウトするノイズキャンセルヘッドフォン(寝る際の耳栓代わりにもなる)が配布されるのも嬉しいことだった。。。これならヨンスもゆったり寝ながら行けるだろう (^◇^)

「 さあ~  ヨンス!!!  いよいよアメリカに行くよ!!! 」

「 そうね  嬉しい!!!  でも  何だか心臓が  ドキドキするわ!!! 子供みたいでしょ!!! 」

「 嬉しいかい  よかった  ヨンスさんに喜んでもらえて   」
「 音楽や  映画を観ながら  寝ていけばいいよ   」

「 うん  そうするわ   何でも  あなたの   言う通りに   」

そう言いながら機内でミンチョルは「アメリカ50州を読む地図」、「民族世界地図」の2冊の文庫本を読み、アメリカの地域による多様性やら、民族の多様性と問題の複雑さは解ってきだしたが、やはり機内で読むのにふさわしいお気楽な本ではなかった。(^^;;)、
快適なフライトは時間の過ぎるのも アッ!!!という間で、機内食をしおへ、ヨンスと同じようにフルシートでウトウトと一眠りして目が覚めると、飛行機はもうアメリカ大陸上空を飛んでいた。 (^o^)
ニューヨークの国際航空には、JFK国際空港の9つあるターミナル(もう一つの、ニューアーク国際空港(EWR)は、コンチネンタル航空と、ノースウエスト航空の2社に限定され、実はこの空港はニューヨーク州にあるものでなく、お隣、ニュージャージー州のニューアークという町にあり、隣の州と言ってもマンハッタンから見ればハドソン川を渡ってすぐの所で、アクセスの面で不都合はない)に到着した!。

「 さぁ~  ヨンスさん   ニューヨークに着いたよ !!!  」

「 何だか  怖いわ !!!  」

国際テロの影響もあってか、アメリカ入国時はさすがに並ばされヨンスの体調を心配したが、しかしまぁここの審査が厳しければ厳しいほど、入国してからの安心度もUPするというもので、ミンチョルはヨシと考えるようにした。
NYの空はどんよりしてて、いかにもNYの空という感じでスリリングな感じがしたが、何となくニューヨークに着いたかと思うと二人はワクワクした。
ミンチョルは空港の売店で雑誌「The New Yorker」を購入し、この雑誌は毎週のNYのエンターテイメント情報と評論が掲載されているので便利で、同じく日曜日にデリや街のスタンドで売り出される「The NewYork Times」日曜版もとても便利だ。厚さは日経正月版の3倍くらいあって仰天してしまうが、ビジネス、アート&レジャー、TV番組、ライフスタイル、クルマ、書評など15の分冊になっていて「The NewYork Times Magazine】も付いてきて、ザーッと目を通すとNYの今がよくわかるようになっていた。

迎えに来てた車に乗り込み、空港からマンハッタンにやってくる途中、明らかにデカイビルが並んでいるエリア、それが、ニューヨークだ!。
マンハッタンの新しいランドマークになっているウェスティン ニューヨーク タイムズスクエアホテル(WESTIN NEW YORK TIMES SQUARE (NYCWTTS))に着いた。部屋には特製のヘブンリーベッドとヘブンリーシャワーが完備され、13のスクリーンを持つ映画館「LOEWS THEATRES」やヤンキースのクラブショップなどがあるショッピングコンプレックスにも繋がっていて便利な、2002年秋オープンのカラフルで大胆な、外観デザインは、活気ある”今”のニューヨークを感じさせる最高級ホテルだ。

「 ” 心が躍る! ここには何かがある! ”  」 ミンチョルは本能的に、そんな空気を感じ取った
「 ヨンスさん  このホテルは今一番人気のあるホテルなんだよ   」
「 何でも揃っているから  何にも心配はないよ   」

「 デザインもいいし  カラフルですばらしいホテルね   」
「 ありがとう   あなた   」

*ここで簡単にニューヨークの地理について・・・  又、ウンチクを・・・
ニューヨークの中心一般的にニューヨーク!。と呼ばれる ” 巨大な中州 ” = ” マンハッタン島 ” である。
二本の川に挟まれた東京23区程度の広さのこのマンハッタンには、およそニューヨークの観光地のほとんどが集中している。
経済の中心で、アート、ミュージカル、ジャズ、ファッションなど何でも有りの、エネルギッシュな街だ。

マンハッタンは京都のように碁盤の目状に区画が分かれてて、縦の道をアベニュー(Avenue~街)、横の道をストリート(Street~通り、~丁目)と表わしいる。
。。。だから、街のほとんどは数字で表現すれば、大体の位置は分かる。

ニューヨークの街は東西方向の道路が34th Street (34丁目)のようにStreetで、南北方向の道路が5th Avenue (5番街)のようにAvenueで表され、7番街-57丁目-6番街と歩けばメインストリートを通ることになるので安全なのでは・・・

・アベニューは東から西
・ストリートは南(ダウンタウン)から ~ 北(アッパータウン)に向けて数字が増えていく。
だから、現在地が8th Avenue,42nd Street で、目的地が5th Avenue,86th Streetだったら、北東に進路を決めればいいわけだ。
覚えるとかなり移動が楽になる。というか、覚えてないと確実に迷ちゃうだろう?。
ちなみに、歩くとアベニューは一区画 5分ぐらい、ストリートは一区画 1分ぐらいかかる。
それで、目的地までの時間も大まかに把握ができるというわけだ。

「何番街の 何丁目」とか言ってるけど、別に難しいことじゃないよ。

マンハッタンの右下の端を 0として X軸と Y軸をとって
x=-1のラインが1番街、
x=-2のラインが2番街…ってなカンジ。
で、
y=1のラインが1丁目、
y=2のラインが2丁目…ってなカンジです。
だから、全然知らない店とかでも「4番街と5番街の間の78丁目!』とか言われただけで、感覚的に場所がわかちゃうでしょ!?。

ニューヨークに関する情報を、マンハッタンで 「行ってはいけない場所 」を三箇所教えましょうか。。。
・ハーレム(黒人街。125番通りだけは綺麗になったが、それ以外は廃墟が多くて危険)
・夜の公園(セントラルパークは、昼間は平気だが夜は人気がないため危険)
・川沿い(倉庫街。やはり人気がないため、危険)

それと、交通手段。
・地下鉄は、2ドルでどこでもいける。
・7ドルで、一日乗車券が買える。
・それ以外は、メトロカードで好きな額だけ入金が可能(日本の Suicaみたいな感じかな?)


*NYと言えばジャズ!。ハーレムのジャズクラブと「ヴィレッジ・バンガード」「ブルーノート」「スウィートベイジル」「バードランド」が有名だが
NYでも老舗的存在のジャズクラブ“Village Vanguard”で、ヨンスとジャズのライブを堪能することに・・・♪
さすがにハッピーホリデイシーズンの週末とあってか、店内は足の踏み場もないほどの超満員状態だった(^^;)
店内は地下倉庫を改造したような感じで、はっきり言って狭いが、その分演奏者たちの臨場感溢れるパフォーマンスを間近で約1時間15分ほどのライブを堪能して、肌で感じることができたのが良かった。

「 あなた  ジャズに興味があったの  全然知らなかった  」
「 でも  こうして生演奏を聴いてると   雰囲気に呑まれていくから  ジャズって  不思議ね  」

「 ヨンスさんは  音楽にはあんまり興味を持ってないみたいだから  付き合わせちゃってゴメンね   」

「 いいえ~  そんなことない   好きよ  好きなんだけど  わたし  音痴だから  」

ニューヨークの人の特徴といったら声が大きくてジェスチュアー好きといったとこ「いいも悪いもすべて持ち合わせ、やっぱダイナミックですごいデス!!! やっぱここのジャズクラブでも!


NYにはリンカーン・センターやカーネギーホールなど世界のクラシック音楽家の桧舞台があり、そこでコンサートも聴きたい!・・・
ミュージカルも観たいけど人気作品はチケットを確保するのが大変で、だけど、ブロードウェイのミュージカルを観たいな!・・・
ニューヨークではいたるところで映画やテレビの撮影が行われているが、そんな風景もニューヨーカーたちからみれば日常茶飯事のようだ。
ヴィレッジやソーホーは世界の流行の発信地!それにミッドタウンの摩天楼とウォール街の摩天楼の中間にあるこの辺りは、なにか雑然としていて自由な雰囲気があって面白いところだ!
二人は色んなことを思いめぐらしていた。。。


*セントラルパークにミンチョルとヨンスは出かけた。。。
都会に緑を、という合言葉で生まれたというセントラルパークは、事実マンハッタンの何分の一かの広さを緑で埋め尽くし、本当にアメリカ人は何もかもがデカ~イ!。
その世界の中心たる大都会にあって、メチャクチャに広い公園で、横断するだけで一苦労だ。
*セントラルパーク抜けてメトロポリタン美術館へと。
セントラル・パーク西側の 80th St ~ 84thStの 4ブロックを占める巨大建築!その名を 「MET」の愛称で親しまれ、アメリカ最大の美術館で世界四大美術館の一つだ。 

パリのルーブル美術館、ロンドンの大英博物館そしてSt・ペテルスブルグのエルミタージュ美術館と並ぶ世界4大美術館である。

世界四大美術館 : 「ルーブル美術館」、「メトロポリタン美術館」、「エルミタージュ美術館」、「故宮博物館」、
 但し「故宮」ではなく、「ボストン美術館」との説もあるが (謎?)。

「 ヨンスさん  四大美術館っていったい何 ?   」

「 ルーブルとメトロポリタンはわかるとしても   」
「 人によっては、大英博物館とか、ボストン美術館とか、スミソニアンとか、ペテルスブルクのエミルタージュとか、スペインのプラドとか、挙句の果てには、台湾の故宮博物院とかを挙げる人もいるし・・・  」
「 美術館じゃなくて  博物館も入ってるしサ~?   」

「 わたしも  よくわからないの  でも  英語で言ったらどっちも 「ミュージアム」よね?  」

5番街に面し、セントラルパークの敷地内にあるメトロポリタン美術館は、敷地面積13万・、年間総観客数は500万人にも達し、先史時代~現代の 5000年に渡る美術・工芸品を所蔵し、330万点以上。エジプト、ギリシャ・ローマ美術から、現代美術までの作品を鑑賞することが出来るところで、そのうち4分の1を、236のギャラリーで展示・公開していた。

ニューヨークの数ある美術館の中でミンチョルは、メトロポリタンに絞るのは大変だった。他にも近代美術館、グッケンハイム美術館、ホイットニー美術館、ブルックリン美術館、、、。どこもすご~い!しかし絵画鑑賞にはいまいち興味に欠けヨンスを喜ばすのには、博物館的要素も強い美術館ということで興味も・・・満たしてあげられるだろうか?と、首を傾げながらも、結局は、メトロポリタン美術館を選んだのだ。

毎日通っても一週間はかかる巨大さで、そこを数時間で鑑賞などとは所詮無理なことで、アートに関して欲張りな人がいかに効率良く見て満足感を味わうか、プランを立てて館内見取り図でシュミレーションまでやって計画倒れにならないように、10時間コース~5時間コースとかにシミレーションを立てて入らないと・・・

結局ヨンスと相談し、5日間かけて見たい箇所を絞って廻るようにした。

正面玄関の風格からしてビゲスト(ビッグの最上級)で、ここは神殿か!? はたまたギリシャ文化遺産か!?
まるで「要塞」のような・・・

5番街に面した82th St.の正面入り口から入ると大ホールが、そして案内所や荷物預り所があり、案内所でガイドブック(館内案内)をもらい通訳できる人もいて、ガイド付ツアーなどを教えてくれ「美術館案内」や特別展の予定などがもらえるようになっていた。

展示量が多い。多すぎる!!!
超一流の作品の大渦の中にいると、感覚が麻痺してきて良いモノも良いと感じられなくなってしまい脇役がいない。
そしてあまりにも広い!!!   広すぎる!!!
これでもかというほどに展示室があり、最後は「もう止めてくれ」という気分になってしまう。「この先にさらに部屋があったらどうしよう」という不安を抱えながら、館内を回ることになるのは必然。

「 で・・・ でかいですねえ~?。。。(汗)   」
「 見終わりませんね。。。  」
「 全部は無理ですね。。。(きっぱり)  」

はぁ  はぁ ・・・と、何やら情けない溜息をつきながら巨大エントランスを潜ってみれば・・・・
悪夢再び・・・・(涙) はぐれたら二度と会えませんね?(←大げさ)

「 と・・・ ともかく! 二階の絵画コーナーに行ってみましょ!  」
「 お・・・  おー!   」

まずは”前向き”に正面へ直進。 階段をずずんと登り、たどり着いたその先の部屋は・・・・
こんな名画があちこちに・・・・
ターナー、コロー、ミレー、そして印象派の作品群の中に突入!ここが館内で一番人気があるのは当然!。これらの有名作家の作品がオンパレードなのだから。。。ヨンスも大喜びだ!ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、モネ、、、名前をあげたらきりがない。雲の上を歩いているような幸せな気分で混雑する人の隙間をタラッタラ~。とても一つ一つの作品から・・・               

世界に36点しかないフェルメールの絵のうち、5点を所蔵していて、まず、「窓辺でリュートを弾く女」
フェルメールの「少女」は、フェルメールの絵は、綿密なデザイン・計算のもとに描かれていて、「ここは、こういう理由でこうなっている」と説明されると、ヨンスは、なるほどと感心し・・・
「水差しを持つ女」の絵は、解説を聞くと面白くなり、意図や状況をさらに知りたくなり、熱心なファンになりそううでフェルメールの絵を見るためだけに、海外旅行をする人もいるとか・・・・

ルノワールの「シャルパンティエ夫人とその子供たち」は、雰囲気や、子供の表情が良く、ヨンスが、あの家族の家と同じく好きな絵の1枚だった。

ジャクソン・ポロックの「秋のリズムは、映画「2人だけのアトリエ」で、ポロック自身のことも良く知られるように・・

ルーブルや大英のように、地域別に分かれた美術品や歴史的な遺物の展示がメインだが、その他にテーマ展示として、「武具」を扱った展示が・・・

西洋の鎧を中心に、日本の鎧兜や、中国の鎧なんてのも・・・
ブロードソードやレイピア、日本刀など武器もたくさんあって、なかなか面白い趣向だった

展示品を見ると、西洋では馬にも相当ゴツい鎧を着せていたようだ。こんなんで歩けるんだろうか、というぐらいでかい鉄の鎧を馬が装備して・・・

二人が地域別の展示で面白かったのは、アフリカだった。
アフリカ人ってのは、およそ西洋人とは明らかに違う発想で美術・工芸品を作って
言い換えると、どうみても「ヘン」なものが多くって「とてつもなく」目がでかかったり、鼻がでかかったり、あごがでかかったり、何か余計なものがくっついていたり、デフォルメが激しい。

しかし、ヘンだからといって、その文化が遅れてるとか、劣ってるとか言うわけではなくって
それは、通ってきた道とは違うから、道のはるか後ろを通っているのであれば、それは文化としては遅れているのかもしれないけど、遅れている事が劣っているかどうかはまた別の議論で、少なくてもアフリカの工芸品のデザインは私たちの歴史には無かったもので、それは遅れているとは言えなく、単に異質なだけ・・・
やっぱり異質なものに対してはどこか恐怖を感じるのも事実で、何を考えてるか分からない恐さ、純粋に見ていて面白いが、同時に恐くも・・・?

価値観の違いを受け入れるっていうのは、口で言うよりもずっと難しいことなのかも知れない?と、二人は思った。

創作続編 ・第26話-3
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  by raymirainya | 2008-12-16 14:59 | 創作続編26-3

最高視聴率48%マーク

フィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナル女子を中継した韓国のテレビ局は
14日、浅田真央(愛知・中京大中京高)と金妍児(韓国)が優勝を争った
13日のフリー終盤の瞬間最高視聴率が
ソウルを含む首都圏で48・0%だったと発表

 韓国での注目度の高さを伺わせ

平均視聴率は全国で23・5%、首都圏で27・1%

浅田真央(18=中京大中京高)が、
来春からの大学生活でロシア語を学ぶ意向を示した

2008年12月15日(月)・・・晴れ・・・12℃~2℃

※        創作続編 ・第26話・・・・・ 『  感     激  』 を、お届け致します。

Part 2、 《 ソンジェの・・・ 流   浪   》

*春の日差しが眩しいある日、ソンジェはバイクにまたがり
ビデオ・デジカメ・ノートパソコンを、荷物の中に詰め込み・・・
ソウル(京城・漢城⇒「首爾」)の町並みを後にし、京畿道(キョンギド)・天安(チョンアン)~忠清南道 (チュンチョンナムド) ・大田(テジョン)へと心地よい風をきりながら、京釜(キョンブ)・湖南(ホナム)高速道路を飛ばした。。。

今回の自分探しの気ままな一人旅では・・・・・    
真正面から自分と向き合い、自然に囲まれたなかで自分自身を見つめ直し本質を探し出すつもりだ.....

《01、僕は何のために何をしに生まれてきたのだろう・・・?》
《02、僕はいったい何がしたいんだろう・・・?》
《03、僕はいったい何なんだろう・・・?》
《04、僕は何をしなければいけないんだろう・・・?》
《05、僕は何のために生きるんだろう・・・?》

《06、僕は僕であり僕らしいってどんなものなのだろう・・・?》
《07、僕は誰のために何を求めているんだろう・・・?》
《08、僕の生甲斐って何なのだろう・・・?》
《09、僕の責任と義務って、いったい何なのだろう・・・?》
《10、僕が僕を生きるためのエネルギーの源って何なのだろう・・・?》

《11、僕の喜びと幸せってどんなものなのだろう・・・?》
《12、僕は誰のために生きてるんだろう・・・?》
《13、僕は必要な人間なのだろうか・・・? どうでもいい不必要な人間なのだろうか・・・?》
《14、人は何故生きてるんだろう・・・?》
《15、僕は何故生きてるんだろう・・・?》

こんな悶々としている心のわだかまりを解きほぐし、かすかな光でも...見い出したかった・・・

何も見つからないかも知れない・・・   けど・・・
何もわからないかも知れない・・・・・   けど・・・

京畿道(キョンギド)・ソウル(京城・漢城⇒「首爾」)~天安(チョンアン)~忠清南道 (チュンチョンナムド) 慶尚北道(キョンサンプクド)・大田(テジョン)~・栄州(ヨンジュ)~慶尚北道(キョンサンプクド)・慶州(キョンジュ)~慶尚南道(キョンサンナムド)釜山(プサン)~済州道(チェジュド)~全羅南道(チョルラナムド)・木浦(モッポ)~全羅北道(チョルラプクド)~忠清南道 (チュンチョンナムド) ~京畿道(キョンギド)・ソウル(京城・漢城⇒「首爾」)へのと、韓国の中央部を南東に突っ切り、新羅(シラギ・シラ・、シンラ)王朝時代の首都だった慶尚北道(キョンサンプクド)・慶州(キョンジュ)と、現在ソウル(京城・漢城⇒「首爾」)に次いで第2の都市である港町、慶尚南道(キョンサンナムド)・釜山(プサン)、韓国最南端の島、1年を通して温暖な気候の火山離島のリゾートアイランド「済州島(チェジュド)」と、南の海岸線を通ってソウル(京城・漢城⇒「首爾」)に戻るという、おおよそ期間も何もかもが、すべからく当ての無い、行き当たりばったりの何ものにも縛られない思いつくままに身を任せる、自由気ままな流浪の旅を送るつもりであった。。。

要は韓国の歴史をつくった原点とも言える、何世紀も昔の百済(ペクチャ)・新羅(シラギ・シラ・、シンラ)時代・加羅(カラ)の地方を、気ままにバイクで訪ね歩き、そこから自分自身の何らかを見出したかったのだ.....
..ソンジェには、そこで自分が抱えている何かが見い出せ発見できるような気がしていた。。。

*ソウルを後にした約6時間後、約 170kmほど離れた白頭大幹(ペクトゥテガン)(朝鮮半島を東西に大きく分ける山脈)が南へ伸びて形成した深山幽谷や明るい日差しや緑の山々、澄んだ水が調和して仙境をなす朝鮮半島の背骨を形成する白頭大幹から、西海へと伸びている車嶺山脈(チャリョンサンメク)と小白山脈(ソベク サンメク)は、険しいが自然の摂理に順応していた、そんな山間道、交通の要衝地、大徳(テドク)を走っていた、そして見えてきた研究団地やエキスポ科学公園を横目に通り抜け、韓国八景の一つである俗離山(ソンリサン)のそばにある、大清湖(デチョンホ) の湖畔に着いた。

..ソンジェはバイクを飛ばしながらも、目に飛び込んでくる山々の雄大さと新鮮な空気を満喫し酔いしれていた。
...どうして、山々はあんなにも威風堂々としてるんだろうか・・・
...取り囲む様々な木々は春夏秋冬と色合いを変え、何も考えず成長しつづけてる源は何なのだろうか・・・

そして、山の中に突然と現われた湖の大清ダムの展望台に上がると、天下を治めたような気持ちになり、人的に造られた壮大な大清湖の美しさを感じることができ、別世界のような静けさのなかで、絵葉書の写真のような美しい姿を映し出しており、身も心も魅了されてしまっていた。・・・バイクの旅に出てよかった!!!!!!

..涼しげな森林浴をおびた空気もたまらなく美味しい.....久しぶりに感じた、いつしか忘れてしまっていた幼い頃感じたことのあるような懐かしい新鮮な空気だった。。。ただジーッとまるで鏡のように静かな湖面と、緑につつまれた周りの俗離山・月岳山・小白山など三大国立公園の山々を眺めていると...自然がかもしだす 恐ろしいほどに雄大で物言わない ” 美 ” を感じざるをえなかった。。。。。気にいった景色をデジカメにとって

その後、疲れを癒すため、李氏朝鮮時代から伝わるという、湯治客でにぎあっている儒城温泉(ユソンオンジャン)に行きゆったりと体を湯舟につかり心身の疲れを癒した。。。こんなにも心穏やかな気持ちで、自然の中に身を投じたことは、今までに一度もなかったことだ。。。自然が与えてくれる幸せを感じた・・・

この日は、携帯で予約を入れ,大田(テジョン)の中級ホテルに泊まることにした.....
本当は、行くとこ何処で、その地の家々での民泊をしたいのだが・・・ソンジェにはとてつもなく勇気のいる行動で

大田(テジョン)、ここは日本の植民地時代に、鉄道輸送を中心に物資の集散地として発展し、大田という名称は、元々この辺りにあった「ハンバ」という集落の名を、日本人が意訳して「大田」と漢字をあてたことに起源があるらしかった
戦後は交通の要衝=軍事的要衝として軍関係の施設が集まり、軍用地の転換も含めて工業団地の開発が推進され、首都機能移転の受け皿として、行政機能も拡大し、内陸の新興地域ということもあって、今では、工業、電機・精密機械などの生産工場が中心となっていた。

1993年には、大田EXPO’93(大田万国博覧会)が開催され、跡地には国立中央科学館が建てられていた。

ホテルでくつろぎ寝る前には、今日行ったところ、感じたことなどを毎日パソコンに打ち込むようにした。。。

*翌日の朝食を済ました後 ~ ・栄州(ヨンジュ)と山岳地方を一気に通り抜け
ソウルから南東方向に、約370kmも離れた、慶尚北道・慶州(キョンジュ)に向ってバイクを飛ばした。。。
新羅(B.C.57~A.D.935)の都としてい栄えたという慶州は「屋根のない博物館」と言われるほどで、街全体に文化の香りが漂っている

慶州(キョンジュ)は朴赫居世(Park Hyeokgeose)が、この地域を中心に国を作り始め、本格的な都市の姿を定めるようになったと言われているところだ
あちこちに残されている新羅時代の優れた文化遺跡からも、そのことがよく伝わってくるような感じがする...建国以降約970余年間も新羅王朝の首都であったと同時に、新羅文化の発祥地でもあったと言われているところだから.....

王陵やお寺、石塔、仏像などを見ながら市街を一周りすると、まさに新羅の黄金期に戻ったような錯覚に浸たる
残っている古墳は勿論、普通の丘や谷間にも新羅千年の歴史が潜んでいるようだ
さすが韓国の体表的な遺跡地である慶州は、五千年悠久歴史を誇る韓国で歴史的に価値のある遺跡のほとんどが集結していると言っても過言ではないくらい、多くの文化遺跡があちらこちらに散らばっている
面積約1,323平方kmで 約 29万余名が住んでいるといわれ行政区域上は慶尚北道に属し、4つの邑と8つの面、13の洞から成され、 市庁舎は慶州市路東洞12番地(路東庁舎)と慶州市東川洞800番地(東川庁舎)にあった
30年ほど前までは、年配者の殆んどが日本語を話せて居た様だが・・・それも今では・・・

...慶州(キョンジュ)に着いたソンジェは、早速宿をとり、旅で疲れた体を癒した。。。

そして数日が過ぎたある日、バイクで出かけた.....
・仏国寺(ブルクッサ)は、751年(景德王10年)金大城によって創建され高麗,朝鮮を経って何回も重修され、1973年大大的な保守工事で復元されたようだった。
吐含山の西の麓にある 仏国寺は世界文化遺産で、新羅文化の根幹で、新羅人たちが夢に描いた仏教世界をどうやら地上に実現させたもののようだ。

ソンジェはバイクを置き、入場料:4,000ウォンを払って境内に入ると、華やかな新羅の芸術や調和のある伝統美を見せる大雄殿、極楽殿が目に飛び込んできた。
大雄殿,極楽殿,毘盧殿で大きく仕分けされ、釈迦仏様を仕えた大雄殿に行こうとすると、青雲・白雲橋の33階段を踏んで上がった後、ザハムンを通って境内をすぐ横切ることは大きな不敬行為らしくって、それを阻むために建てられたのが四方に振り回された長い回廊のようらしい。

大雄殿前庭には多宝塔,釈迦塔が視線を集中させて見ているような感じをうけ、派手ながらも精密感が漂う多宝塔(国宝第20号)と安定感がありながらも、凉しい感じを与える釈迦塔(国宝第21号)は、玄妙な調和を持って、お互いに見合わせていた。華やかで奇抜に建てられ造形芸術の極致を見せる多宝塔と男性的な釈迦塔などがあって、新羅人のデリケートな芸術魂を感じざるをえなかった。

大雄殿後隣は経論を講義した講堂で、無説殿というその名前に傑作さを感じた。
無説殿裏側にある毘盧殿には、整然としていながらも動感あふれる金銅毘盧遮那仏座像(国宝第26号)が,、雄殿西側の極楽殿には威厳ある金銅阿彌陀如来座像(国宝第27号)がそれぞれ安置されていた。

仏国寺の伽藍配置は奈良薬師寺に似て、釈迦塔はすらりとしたスマートな感じ、飾り気もなくシンプルで、一方多宝塔は、上に行くに従って四角形から八角形、円へと形を変え、デザインもこって、ここにも桜と木蓮がきれいに咲いていた・・・ここの右の多宝塔、左の釈迦塔は10W硬貨のデザインになっているが、キリスト教徒の多いこの国の人に釈迦の像を持てば自分が大統領になれるだろうと言うことで、唯一残っている獅子を仏像になぞらえ、改鋳したとか・・・
...先人の人々は、何故お釈迦さまをこんなにも大切に守り通し崇拝したのだろう・・・
...今なお絶え間なく人は訪れ、守り続け、信じ続けてるのは何故なのだろう・・・

・続いて訪れたのが、山道をゆっくり桜を見ながら登って。。。
入場料:4,000ウォンを払い、石窟庵(ソックラム)自然石でドーム形に築いた上に土を覆いかぶせ、まるで岩屋のように見れる 石窟庵は751年に新羅35代目の景徳王時代の金大城が、両親をしのぶため創造し韓国仏教彫刻を代表する共に世界的名作として認められ遺産の素晴らしさと掘内は荘厳な雰囲気が漂って石窟庵の構造と形式,規模を決めた基準は"人間中心"であったらしい。

石窟庵の大きさと比率は"仏様中心"ではなくって、参拜者の耳と目の角度、参拜者が立ってるようになる位置など,完璧な"人間中心"で、仏様を参拜するように設計されて作られ、台座の大きさを基本に石窟全体と各部分間の比例を自然美の原理によって造営することで'人間'と'科学'の関係を調和させ、芸術の世界、華厳の世界にまで昇華させているようだった。

石で作られたドームで、そこに釈迦が安置され神々しい表情で素晴らしい、周りにもたくさんの菩薩などが彫ってあり、ガラス張りにしてあるので直接見ることはできなかったが、石窟は覆土に覆われ覆土の構造も石の上に砂、砂の上に土、土の上に芝となって、この上に降った雨が石窟に進入することはなく、石窟が水滴で塗れることもなく、石窟が二重の構造ともいえる形になっていることが理由の一つで、石窟の脇には排除した水が流れるようになっているトンネルがあり、残骸の一部の中にも樋のような形をしたものが残され、石窟の下の部分のさらに下を流水を流している、常に石窟の内部の温度を低めに保ち、結露を未然に防ぐ構造になっていた。

..ソンジェは、思った・・・
..亡くなっても親を思う気持ちの表現と、生きてる人を大切にした技術を駆使した子の心を.....
・そして又、数日後のある日
入場料 : 1,400ウォンを払って、新羅の古跡群のなかで、最も規模が大きい古跡群大陵苑を訪れた。
1973年公園に造成され3万8千坪の苑内に23基あまりの陸墓が密集していて、慶州を訪れる観光客は必ず尋ねる名所らしい、特に既存の美醜王陵地球が1960, 70年代に耳目をひくようになりながら大大的学術発掘が'大陵苑'という古墳公園で整理されたことで、こちらには美醜王陵、黄南大塚,、馬塚などの新羅古墳が密集していた。

大陵苑中の古墳は新羅王と貴族たちの陵墓に推定され、外形上では大部分原型峰土粉(円形封土憤)になっているが、ピョヒョングブン(瓢形憤)の夫婦合掌の双墳(皇南大塚)もあって、内部構造はいくつかの古墳の発掘結果新羅特有の積石木槨憤で、中でも天馬塚(155号古墳)が有名だ。

実際に目にしてみるとその数の多さ、大きさに圧倒されてしまい、一つ一つの直径が20mはあろうかという円墳が広い敷地に並んでいて、その一番奥に天馬塚、唯一中に入れる古墳で誰の墓かわからないため、天馬を描いた絵に依ってそう名付けたようで、中には遺物が展示してあったが、すべてレプリカだった。

...ソンジェは、古墳はいったい何をうったえようとしているのかを考えた...
...威厳を放った時代の有力者や権力者の象徴なのだろうか・・・
...絶え間なく訪れる人々は何故来るのだろうか・・・

・入場料:400ウォンで入った国立慶州博物館は、1945年の主権回復後、ソウルの総督府博物館が国立博物館として新たに発足・開館され慶州の旧博物館も国立博物館慶州分館と改められたようだ。
韓国の暦史と伝統文化に対する関心が高まるにつれ、慶州地域の遺跡調査が活発になり、その結果、多くの遺物が出土するようになった。そしてこれらの出土品を保存・展示するためのより広い空間が必要になって、1975年、現在の仁旺洞に2万余坪の敷地を確保し、新たに本館を建てて博物館としての面目を一新し、1985年には雁鴨池館を開館、名実共に新羅の古都慶州を代表する文化施設としての役割をはたすことができるようになったらしい。

展示館は、本館・第1別館(特別展示室)・第2別館(雁鴨池館)・新館の4館からなっていて、博物館の庭園にも多くの遺物が展示されていて、展示物は約2500余点で、博物館の全所蔵品は10万余点を数え、その他、現在まで各種の学術書と企画展示図録、教養講座のテキストなど数十冊の出版物を刊行していた。
聖徳大王神鐘をはじめ、10万点以上の遺物を所蔵しており、2500点あまりの遺物を常時展示している。

...ソンジェは山間に築かれていた、歴史の重みを匂わす寺や古墳、博物館など訪ね歩き.....
...何かを感じとっていた....
...何処を訪れてる人たちも皆な気忙しく、そして元気だ・・・若い学生も非常に多い・・・何故だ・・・
...何故・・・  こんな山の上に、築かれているの.....
...誰にも邪魔されず、安心できるから・・・  空に近いから・・・  そこから下を全部、見下ろせるから.....
慶州(キョンジュ)は、街道を何キロにもわたって埋め尽くす桜並木はさすがに韓国一の桜の名所だった・・・日本の何処の桜の名所よりも凄いかもしれない。。。。。但し、若木だが・・・

1ヶ月ほどが経った晴れ渡ったある日、慶尚北道慶州(キョンジュ)に別れをつげ、バイクにまたがり70kmほど離れた、慶尚南道・釜山(プサン)を目指してアクセルグリップを握り廻しマフラーの音を吹かした。
*3時間ほどかけ、慶尚南道・釜山(プサン) に着いた。。。
釜山広域市はソウルから南東方面に約430km離れた韓国第2の都市で人口400万、韓国第1の貿易港でもあり、船出の汽船が鳴り響く、ロマンと活気に満ちたところで天気さえよければ60km離れた対馬も見ることができ、海と山に取り囲まれた天恵の自然と多くの観光資源が散在していると聞いていた。(韓国の総人口4,600万人、ソウルの人口は1,040万人)
早速長期滞在のための宿をとった。
・翌日の午後から、チャガルチ市場と釜山共同魚市場に足を向けた
地下鉄1号線チャガルチ市場駅沿いにある、国内最大の魚市場と言われるチャガルチ市場には立ち入った瞬間から魚の生臭さがたち込め荒々しい活気が充満していた。南浦洞1街から6街まで海岸に沿って開かれた市場全体をチャガルチ市場というらしかった。

チャガルチ市場の一番真の味は、何といっても海岸線に沿って海辺側はズラリと並んだ屋台のような、街販台刺身屋のような生き生きした刺身の材料を選んだ後、直接刺身を薄切りにしてくれる姿と、焼酎一杯を添えてくれ、忙しく動きながらも、それぞれの人が哀歓をもってて、本当の姿を一緒に感じて見ることができ、世の中がくたびれて大変になればここを尋ねて、必死に熱心に生きている姿を生で見ていると、自分の生活の活力素を得ることができるのかのようで、それこそが海岸街チャガルチの本当の魅力で風情だとも言われてるようだった。

...ソンジェも刺身を頼み、焼酎を飲みながら、そんな元気で威勢のいい活気に満ち溢れた人たちに囲まれた中で余韻にしたったひと時を過ごしていた。

“釜山共同魚市場“は国内近海水産物の最大委販場で1963年開場以後国内水産物委販量の相当部分を占め、夜明けならば間違いなく開かれる競り買いはもう一つの見どころで、こちらには鮮魚、干魚、海藻等多様な水産物を全国各地に供給してる国内最大の魚市場だが、魚市場の水準を越してて立派な観光商品としてでも申し分なく通るようだ。

毎年10月には”来なさい!御覧下さい!買いなさい!” というスローガンを掲げた南浦通り、チャガルチ、光復通り、竜頭山公園一帯に特設舞台が設置され、チャガルチ祭りフェスティバルが開かれ、新鮮な魚介類を安値で購入でき、その場で刺身や鍋物を調理してもらって食べられ、この時期は刺身や水産物を安値で食べられ、見てるだけでも楽しいらしい。

...ソンジェもそんな祭りが行われる時期に、また訪れてみようと思っていた。
...魚の匂い、人臭ささの匂い、どれもこれも生きいきとしている生々しい空気の匂いを感じていた・・・
...ここでは、理屈など一切無用で容赦なしの、熱気と活気に圧倒されっぱなしであった。。。。。
...なんで、そんなに皆な元気なの・・・
...なんでそんなに声が大きいの・・・
...なんでそんなによく喋るの・・・
...なんでそんなによく笑うの・・・
...なんでそんなに働くの・・・
・バイクで40分ほどのところの、海雲台(ヘウンデ)の浜辺へと向った。。。
韓国八景に数えられる海雲台は、青い海と白い砂が広がる景観の美しい海水浴場だ、21kmぐらいの広い白砂を 持つ海辺には夏のバカンスシーズンともなると、座る場所がないほど人出で賑わうらしく、収容人員は12万名位で94年8月2日には80万名の避暑客がきて、珍記録を樹立したほどの国内最高の海水浴場のようで、各種イベントと行事が年中開催され観光地としての面貌を加え他の季節でも波打ち際を歩くのは心地よく、夜は多数の屋台(ポジャンマチャ) がでてくるようだ。

ここの白砂場の砂は、長年の風化作用で整えられたきれいで身に埋めてもよく落ちる特徴を持った良い砂で、平均水深が1m程に浅くて海水浴するのに良く、周辺の海雲台温泉、椿島、五六島(オリュクド)、ダルマッイギル、オリンピック公園、ヨット競技場、松亭海水浴場、張山などが揃っていて、一つの観光ベルトを形成して沢山の人々を呼び込んでいた。
..一面に広がる砂浜は、どこか違う国に来たかのような錯覚をもたらした。
...明らかにソウル近郊の、海辺とはおもむきが大きく異なっていた。
,,シューズを脱ぎ砂浜を歩き、透き通った海の水の中に膝まで足を入れ、心地よさにしたった
...そして南洋を感じさせる潮風にうたれ・・・  砂浜に寝転び・・・  いつしか・・・   眠った。。。。。

創作続編 ・第26話-2
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  by raymirainya | 2008-12-15 14:41 | 創作続編26-2

<フィギュアスケート:GPファイナル>◇最終日

◇最終日◇13日
世界女王の浅田真央(18=中京大中京高)が、逆転で3年ぶりにGPファイナルを制した
ショートプログラム(SP)2位で迎えたフリーは123・17点、合計188・55点
0・56点差でSP首位だった同年齢のライバル金妍児(韓国)を2・20点上回った
転倒もあったが、女子では国際大会で史上初めて、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を2度成功
直後に滑った金に重圧をかけ、ミスを誘発し、優勝を手繰り寄せた

 逆転優勝が決まった瞬間、浅田は目を見開いて驚いた
中継テレビ局のインタビューの合間にモニターで確認した金は、ジャンプでミスを連発していた

「もしや」の思いを押し殺していたが、次々と関係者が訪れては祝福されると、実感がこみ上げて
「真央を誇りに思うわ」というタラソワ・コーチとは何度も抱き合い、笑った

 自らの手で運を呼び込んだ
冒頭、慎重にジャンプまでの軌道を確認すると、3回転半-2回転トーループを完ぺきに決めた

息つく間もなく、次は単発の3回転半も成功
史上初の快挙を達成すると、韓国ファンからも大きな拍手と歓声がわき起こった

 ジャンプを降りた時は、すぐに次のジャンプもあって集中していた

 認定されてうれしく思うし、すごく達成感もある。

 今季最大の目標を達成し、演技後にはテレビカメラに向かって、何度も笑顔で投げキスをした

 一時は「負け」も覚悟した
後半に得点源だった2連続3回転の前半で転倒
10点前後の得点を失った形となった
金は今季2戦とも190点台を出しているだけに、合計188・55点では逃げ切れない
しかし、2度の3回転半成功にかけた浅田の執念が、金に無言の重圧をかけた

2週間前のNHK杯では2度の成功を目指したが、1度がわずかに回転不足と判定された
それだけに「(韓国に)入る前から2回跳びたいという気持ちがあったし、攻める気持ちを忘れずにいたかった
大きな自信になる」と胸を張った

 表彰式では金から「おめでとう」と声をかけられ、笑顔で応じた
金との直接対決は、今年3月の世界選手権優勝に続き、05年にシニア転向後初の連勝。シニアでも3勝2敗と初の勝ち越しとなった

今大会前、浅田は「スピード感があるし、一緒に滑ることでいい刺激になる」と、金へのライバル心を隠さなかった

一方の金は「他の選手のことは気にしていない」と平静を装った
宿敵を受け入れた浅田と、目をそらした金
そんな心理状況も微妙に明暗を分けた

 会見では「ヨナ選手とは同じ年ですごくいいライバルだと思う
 これからもお互いに刺激を与え合えたらいい」と素直に話した

初対決の04年12月ジュニアGPファイナルで、初めて3回転半を跳んで完全優勝した
当時の金に大きな衝撃を与えた
それから4年後、再び3回転半が金から平常心を奪った

 次の対決は来年2月、バンクーバー五輪の本番リンク「パシフィック・コロシアム」で行われる、4大陸選手権の可能性が高い

金の地元韓国での逆転優勝に続き、世界の舞台で再び打ち負かすことができれば、同五輪に向けて大きなアドバンテージとなるはず

でも、結果はどうれあれ、18才の若い二人はホントによく頑張ったと思う

すばらしい、感動と勇気を、与えてくれて、ありがとう

そして、今夜はプレッシャーから解放されたエキシビジョン!

2008年12月14日(日)・・・晴れ・・・13℃~3℃

創作続編26-1
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  by raymirainya | 2008-12-14 12:13 | 創作続編26-1

フィギュアスケート:GPファイナル◇初日

韓国・高陽の高陽アイスリンクで開幕

女子ショートプログラム(SP)で昨季の世界女王・浅田真央(18=中京大中京高)は今季自己ベストの65・38点で2位につけた

65・94点でトップのライバル・キム・ヨナ(18=韓国)との点差はわずか0・56

13日のフリーでトリプルアクセル2発に挑戦する

「月の光」に乗った冒頭の3回転フリップ―3回転ループで、ループが回転不足と判定

昨季は踏み切りの違反で減点が続いた3回転ルッツでの出来栄え評価で加点を引き出すと、ダブルアクセルも確実に成功

今大会と同じ会場で行われた今年2月の四大陸選手権はキム・ヨナが欠場したため、宿敵の地元・韓国では初の激突となった

同大会では主役として大声援を浴びた浅田も、
会場中にキム・ヨナの写真入り横断幕が張り巡らされる今大会ばかりは
完全アウェーと思われた
が、この日も待っていたのは大歓声「(声援は)

四大陸の時に慣れてるので大丈夫です」と余裕の笑みを浮かべた

今日が決着のフリー演技

どっちも、ガンバッ!


2008年12月13日(土)・・・快晴・・・13℃~5℃

第 3 0 話(ドリュームバージョン) 『  落  日  』 その4
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  by raymirainya | 2008-12-13 13:11 | 創作続編 30話(4)

ぐずついた空模様

どんよりした日

今年一年の一文字漢字は ” 変 ”

韓国ソウルでの、フィギアスケートグランプリファイナル

キム・ヨナと浅田真央との戦いが

今日から始まる


2008年12月12日(金)・・・11℃~4℃

第 3 0 話(ドリュームバージョン) 『  落  日  』 その3
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  by raymirainya | 2008-12-12 14:56 | 創作続編 30話(3)

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