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創作続編26話 p-2 ”流浪” 韓国縦断バイク一人旅

フィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナル女子を中継した韓国のテレビ局は
14日、浅田真央(愛知・中京大中京高)と金妍児(韓国)が優勝を争った
13日のフリー終盤の瞬間最高視聴率が
ソウルを含む首都圏で48・0%だったと発表

 韓国での注目度の高さを伺わせ

平均視聴率は全国で23・5%、首都圏で27・1%

浅田真央(18=中京大中京高)が、
来春からの大学生活でロシア語を学ぶ意向を示した

2008年12月15日(月)・・・晴れ・・・12℃~2℃

※        創作続編 ・第26話・・・・・ 『  感     激  』 を、お届け致します。

Part 2、 《 ソンジェの・・・ 流   浪   》

*春の日差しが眩しいある日、ソンジェはバイクにまたがり
ビデオ・デジカメ・ノートパソコンを、荷物の中に詰め込み・・・
ソウル(京城・漢城⇒「首爾」)の町並みを後にし、京畿道(キョンギド)・天安(チョンアン)~忠清南道 (チュンチョンナムド) ・大田(テジョン)へと心地よい風をきりながら、京釜(キョンブ)・湖南(ホナム)高速道路を飛ばした。。。

今回の自分探しの気ままな一人旅では・・・・・    
真正面から自分と向き合い、自然に囲まれたなかで自分自身を見つめ直し本質を探し出すつもりだ.....

《01、僕は何のために何をしに生まれてきたのだろう・・・?》
《02、僕はいったい何がしたいんだろう・・・?》
《03、僕はいったい何なんだろう・・・?》
《04、僕は何をしなければいけないんだろう・・・?》
《05、僕は何のために生きるんだろう・・・?》

《06、僕は僕であり僕らしいってどんなものなのだろう・・・?》
《07、僕は誰のために何を求めているんだろう・・・?》
《08、僕の生甲斐って何なのだろう・・・?》
《09、僕の責任と義務って、いったい何なのだろう・・・?》
《10、僕が僕を生きるためのエネルギーの源って何なのだろう・・・?》

《11、僕の喜びと幸せってどんなものなのだろう・・・?》
《12、僕は誰のために生きてるんだろう・・・?》
《13、僕は必要な人間なのだろうか・・・? どうでもいい不必要な人間なのだろうか・・・?》
《14、人は何故生きてるんだろう・・・?》
《15、僕は何故生きてるんだろう・・・?》

こんな悶々としている心のわだかまりを解きほぐし、かすかな光でも...見い出したかった・・・

何も見つからないかも知れない・・・   けど・・・
何もわからないかも知れない・・・・・   けど・・・

京畿道(キョンギド)・ソウル(京城・漢城⇒「首爾」)~天安(チョンアン)~忠清南道 (チュンチョンナムド) 慶尚北道(キョンサンプクド)・大田(テジョン)~・栄州(ヨンジュ)~慶尚北道(キョンサンプクド)・慶州(キョンジュ)~慶尚南道(キョンサンナムド)釜山(プサン)~済州道(チェジュド)~全羅南道(チョルラナムド)・木浦(モッポ)~全羅北道(チョルラプクド)~忠清南道 (チュンチョンナムド) ~京畿道(キョンギド)・ソウル(京城・漢城⇒「首爾」)へのと、韓国の中央部を南東に突っ切り、新羅(シラギ・シラ・、シンラ)王朝時代の首都だった慶尚北道(キョンサンプクド)・慶州(キョンジュ)と、現在ソウル(京城・漢城⇒「首爾」)に次いで第2の都市である港町、慶尚南道(キョンサンナムド)・釜山(プサン)、韓国最南端の島、1年を通して温暖な気候の火山離島のリゾートアイランド「済州島(チェジュド)」と、南の海岸線を通ってソウル(京城・漢城⇒「首爾」)に戻るという、おおよそ期間も何もかもが、すべからく当ての無い、行き当たりばったりの何ものにも縛られない思いつくままに身を任せる、自由気ままな流浪の旅を送るつもりであった。。。

要は韓国の歴史をつくった原点とも言える、何世紀も昔の百済(ペクチャ)・新羅(シラギ・シラ・、シンラ)時代・加羅(カラ)の地方を、気ままにバイクで訪ね歩き、そこから自分自身の何らかを見出したかったのだ.....
..ソンジェには、そこで自分が抱えている何かが見い出せ発見できるような気がしていた。。。

*ソウルを後にした約6時間後、約 170kmほど離れた白頭大幹(ペクトゥテガン)(朝鮮半島を東西に大きく分ける山脈)が南へ伸びて形成した深山幽谷や明るい日差しや緑の山々、澄んだ水が調和して仙境をなす朝鮮半島の背骨を形成する白頭大幹から、西海へと伸びている車嶺山脈(チャリョンサンメク)と小白山脈(ソベク サンメク)は、険しいが自然の摂理に順応していた、そんな山間道、交通の要衝地、大徳(テドク)を走っていた、そして見えてきた研究団地やエキスポ科学公園を横目に通り抜け、韓国八景の一つである俗離山(ソンリサン)のそばにある、大清湖(デチョンホ) の湖畔に着いた。

..ソンジェはバイクを飛ばしながらも、目に飛び込んでくる山々の雄大さと新鮮な空気を満喫し酔いしれていた。
...どうして、山々はあんなにも威風堂々としてるんだろうか・・・
...取り囲む様々な木々は春夏秋冬と色合いを変え、何も考えず成長しつづけてる源は何なのだろうか・・・

そして、山の中に突然と現われた湖の大清ダムの展望台に上がると、天下を治めたような気持ちになり、人的に造られた壮大な大清湖の美しさを感じることができ、別世界のような静けさのなかで、絵葉書の写真のような美しい姿を映し出しており、身も心も魅了されてしまっていた。・・・バイクの旅に出てよかった!!!!!!

..涼しげな森林浴をおびた空気もたまらなく美味しい.....久しぶりに感じた、いつしか忘れてしまっていた幼い頃感じたことのあるような懐かしい新鮮な空気だった。。。ただジーッとまるで鏡のように静かな湖面と、緑につつまれた周りの俗離山・月岳山・小白山など三大国立公園の山々を眺めていると...自然がかもしだす 恐ろしいほどに雄大で物言わない ” 美 ” を感じざるをえなかった。。。。。気にいった景色をデジカメにとって

その後、疲れを癒すため、李氏朝鮮時代から伝わるという、湯治客でにぎあっている儒城温泉(ユソンオンジャン)に行きゆったりと体を湯舟につかり心身の疲れを癒した。。。こんなにも心穏やかな気持ちで、自然の中に身を投じたことは、今までに一度もなかったことだ。。。自然が与えてくれる幸せを感じた・・・

この日は、携帯で予約を入れ,大田(テジョン)の中級ホテルに泊まることにした.....
本当は、行くとこ何処で、その地の家々での民泊をしたいのだが・・・ソンジェにはとてつもなく勇気のいる行動で

大田(テジョン)、ここは日本の植民地時代に、鉄道輸送を中心に物資の集散地として発展し、大田という名称は、元々この辺りにあった「ハンバ」という集落の名を、日本人が意訳して「大田」と漢字をあてたことに起源があるらしかった
戦後は交通の要衝=軍事的要衝として軍関係の施設が集まり、軍用地の転換も含めて工業団地の開発が推進され、首都機能移転の受け皿として、行政機能も拡大し、内陸の新興地域ということもあって、今では、工業、電機・精密機械などの生産工場が中心となっていた。

1993年には、大田EXPO’93(大田万国博覧会)が開催され、跡地には国立中央科学館が建てられていた。

ホテルでくつろぎ寝る前には、今日行ったところ、感じたことなどを毎日パソコンに打ち込むようにした。。。

*翌日の朝食を済ました後 ~ ・栄州(ヨンジュ)と山岳地方を一気に通り抜け
ソウルから南東方向に、約370kmも離れた、慶尚北道・慶州(キョンジュ)に向ってバイクを飛ばした。。。
新羅(B.C.57~A.D.935)の都としてい栄えたという慶州は「屋根のない博物館」と言われるほどで、街全体に文化の香りが漂っている

慶州(キョンジュ)は朴赫居世(Park Hyeokgeose)が、この地域を中心に国を作り始め、本格的な都市の姿を定めるようになったと言われているところだ
あちこちに残されている新羅時代の優れた文化遺跡からも、そのことがよく伝わってくるような感じがする...建国以降約970余年間も新羅王朝の首都であったと同時に、新羅文化の発祥地でもあったと言われているところだから.....

王陵やお寺、石塔、仏像などを見ながら市街を一周りすると、まさに新羅の黄金期に戻ったような錯覚に浸たる
残っている古墳は勿論、普通の丘や谷間にも新羅千年の歴史が潜んでいるようだ
さすが韓国の体表的な遺跡地である慶州は、五千年悠久歴史を誇る韓国で歴史的に価値のある遺跡のほとんどが集結していると言っても過言ではないくらい、多くの文化遺跡があちらこちらに散らばっている
面積約1,323平方kmで 約 29万余名が住んでいるといわれ行政区域上は慶尚北道に属し、4つの邑と8つの面、13の洞から成され、 市庁舎は慶州市路東洞12番地(路東庁舎)と慶州市東川洞800番地(東川庁舎)にあった
30年ほど前までは、年配者の殆んどが日本語を話せて居た様だが・・・それも今では・・・

...慶州(キョンジュ)に着いたソンジェは、早速宿をとり、旅で疲れた体を癒した。。。

そして数日が過ぎたある日、バイクで出かけた.....
・仏国寺(ブルクッサ)は、751年(景德王10年)金大城によって創建され高麗,朝鮮を経って何回も重修され、1973年大大的な保守工事で復元されたようだった。
吐含山の西の麓にある 仏国寺は世界文化遺産で、新羅文化の根幹で、新羅人たちが夢に描いた仏教世界をどうやら地上に実現させたもののようだ。

ソンジェはバイクを置き、入場料:4,000ウォンを払って境内に入ると、華やかな新羅の芸術や調和のある伝統美を見せる大雄殿、極楽殿が目に飛び込んできた。
大雄殿,極楽殿,毘盧殿で大きく仕分けされ、釈迦仏様を仕えた大雄殿に行こうとすると、青雲・白雲橋の33階段を踏んで上がった後、ザハムンを通って境内をすぐ横切ることは大きな不敬行為らしくって、それを阻むために建てられたのが四方に振り回された長い回廊のようらしい。

大雄殿前庭には多宝塔,釈迦塔が視線を集中させて見ているような感じをうけ、派手ながらも精密感が漂う多宝塔(国宝第20号)と安定感がありながらも、凉しい感じを与える釈迦塔(国宝第21号)は、玄妙な調和を持って、お互いに見合わせていた。華やかで奇抜に建てられ造形芸術の極致を見せる多宝塔と男性的な釈迦塔などがあって、新羅人のデリケートな芸術魂を感じざるをえなかった。

大雄殿後隣は経論を講義した講堂で、無説殿というその名前に傑作さを感じた。
無説殿裏側にある毘盧殿には、整然としていながらも動感あふれる金銅毘盧遮那仏座像(国宝第26号)が,、雄殿西側の極楽殿には威厳ある金銅阿彌陀如来座像(国宝第27号)がそれぞれ安置されていた。

仏国寺の伽藍配置は奈良薬師寺に似て、釈迦塔はすらりとしたスマートな感じ、飾り気もなくシンプルで、一方多宝塔は、上に行くに従って四角形から八角形、円へと形を変え、デザインもこって、ここにも桜と木蓮がきれいに咲いていた・・・ここの右の多宝塔、左の釈迦塔は10W硬貨のデザインになっているが、キリスト教徒の多いこの国の人に釈迦の像を持てば自分が大統領になれるだろうと言うことで、唯一残っている獅子を仏像になぞらえ、改鋳したとか・・・
...先人の人々は、何故お釈迦さまをこんなにも大切に守り通し崇拝したのだろう・・・
...今なお絶え間なく人は訪れ、守り続け、信じ続けてるのは何故なのだろう・・・

・続いて訪れたのが、山道をゆっくり桜を見ながら登って。。。
入場料:4,000ウォンを払い、石窟庵(ソックラム)自然石でドーム形に築いた上に土を覆いかぶせ、まるで岩屋のように見れる 石窟庵は751年に新羅35代目の景徳王時代の金大城が、両親をしのぶため創造し韓国仏教彫刻を代表する共に世界的名作として認められ遺産の素晴らしさと掘内は荘厳な雰囲気が漂って石窟庵の構造と形式,規模を決めた基準は"人間中心"であったらしい。

石窟庵の大きさと比率は"仏様中心"ではなくって、参拜者の耳と目の角度、参拜者が立ってるようになる位置など,完璧な"人間中心"で、仏様を参拜するように設計されて作られ、台座の大きさを基本に石窟全体と各部分間の比例を自然美の原理によって造営することで'人間'と'科学'の関係を調和させ、芸術の世界、華厳の世界にまで昇華させているようだった。

石で作られたドームで、そこに釈迦が安置され神々しい表情で素晴らしい、周りにもたくさんの菩薩などが彫ってあり、ガラス張りにしてあるので直接見ることはできなかったが、石窟は覆土に覆われ覆土の構造も石の上に砂、砂の上に土、土の上に芝となって、この上に降った雨が石窟に進入することはなく、石窟が水滴で塗れることもなく、石窟が二重の構造ともいえる形になっていることが理由の一つで、石窟の脇には排除した水が流れるようになっているトンネルがあり、残骸の一部の中にも樋のような形をしたものが残され、石窟の下の部分のさらに下を流水を流している、常に石窟の内部の温度を低めに保ち、結露を未然に防ぐ構造になっていた。

..ソンジェは、思った・・・
..亡くなっても親を思う気持ちの表現と、生きてる人を大切にした技術を駆使した子の心を.....
・そして又、数日後のある日
入場料 : 1,400ウォンを払って、新羅の古跡群のなかで、最も規模が大きい古跡群大陵苑を訪れた。
1973年公園に造成され3万8千坪の苑内に23基あまりの陸墓が密集していて、慶州を訪れる観光客は必ず尋ねる名所らしい、特に既存の美醜王陵地球が1960, 70年代に耳目をひくようになりながら大大的学術発掘が'大陵苑'という古墳公園で整理されたことで、こちらには美醜王陵、黄南大塚,、馬塚などの新羅古墳が密集していた。

大陵苑中の古墳は新羅王と貴族たちの陵墓に推定され、外形上では大部分原型峰土粉(円形封土憤)になっているが、ピョヒョングブン(瓢形憤)の夫婦合掌の双墳(皇南大塚)もあって、内部構造はいくつかの古墳の発掘結果新羅特有の積石木槨憤で、中でも天馬塚(155号古墳)が有名だ。

実際に目にしてみるとその数の多さ、大きさに圧倒されてしまい、一つ一つの直径が20mはあろうかという円墳が広い敷地に並んでいて、その一番奥に天馬塚、唯一中に入れる古墳で誰の墓かわからないため、天馬を描いた絵に依ってそう名付けたようで、中には遺物が展示してあったが、すべてレプリカだった。

...ソンジェは、古墳はいったい何をうったえようとしているのかを考えた...
...威厳を放った時代の有力者や権力者の象徴なのだろうか・・・
...絶え間なく訪れる人々は何故来るのだろうか・・・

・入場料:400ウォンで入った国立慶州博物館は、1945年の主権回復後、ソウルの総督府博物館が国立博物館として新たに発足・開館され慶州の旧博物館も国立博物館慶州分館と改められたようだ。
韓国の暦史と伝統文化に対する関心が高まるにつれ、慶州地域の遺跡調査が活発になり、その結果、多くの遺物が出土するようになった。そしてこれらの出土品を保存・展示するためのより広い空間が必要になって、1975年、現在の仁旺洞に2万余坪の敷地を確保し、新たに本館を建てて博物館としての面目を一新し、1985年には雁鴨池館を開館、名実共に新羅の古都慶州を代表する文化施設としての役割をはたすことができるようになったらしい。

展示館は、本館・第1別館(特別展示室)・第2別館(雁鴨池館)・新館の4館からなっていて、博物館の庭園にも多くの遺物が展示されていて、展示物は約2500余点で、博物館の全所蔵品は10万余点を数え、その他、現在まで各種の学術書と企画展示図録、教養講座のテキストなど数十冊の出版物を刊行していた。
聖徳大王神鐘をはじめ、10万点以上の遺物を所蔵しており、2500点あまりの遺物を常時展示している。

...ソンジェは山間に築かれていた、歴史の重みを匂わす寺や古墳、博物館など訪ね歩き.....
...何かを感じとっていた....
...何処を訪れてる人たちも皆な気忙しく、そして元気だ・・・若い学生も非常に多い・・・何故だ・・・
...何故・・・  こんな山の上に、築かれているの.....
...誰にも邪魔されず、安心できるから・・・  空に近いから・・・  そこから下を全部、見下ろせるから.....
慶州(キョンジュ)は、街道を何キロにもわたって埋め尽くす桜並木はさすがに韓国一の桜の名所だった・・・日本の何処の桜の名所よりも凄いかもしれない。。。。。但し、若木だが・・・

1ヶ月ほどが経った晴れ渡ったある日、慶尚北道慶州(キョンジュ)に別れをつげ、バイクにまたがり70kmほど離れた、慶尚南道・釜山(プサン)を目指してアクセルグリップを握り廻しマフラーの音を吹かした。
*3時間ほどかけ、慶尚南道・釜山(プサン) に着いた。。。
釜山広域市はソウルから南東方面に約430km離れた韓国第2の都市で人口400万、韓国第1の貿易港でもあり、船出の汽船が鳴り響く、ロマンと活気に満ちたところで天気さえよければ60km離れた対馬も見ることができ、海と山に取り囲まれた天恵の自然と多くの観光資源が散在していると聞いていた。(韓国の総人口4,600万人、ソウルの人口は1,040万人)
早速長期滞在のための宿をとった。
・翌日の午後から、チャガルチ市場と釜山共同魚市場に足を向けた
地下鉄1号線チャガルチ市場駅沿いにある、国内最大の魚市場と言われるチャガルチ市場には立ち入った瞬間から魚の生臭さがたち込め荒々しい活気が充満していた。南浦洞1街から6街まで海岸に沿って開かれた市場全体をチャガルチ市場というらしかった。

チャガルチ市場の一番真の味は、何といっても海岸線に沿って海辺側はズラリと並んだ屋台のような、街販台刺身屋のような生き生きした刺身の材料を選んだ後、直接刺身を薄切りにしてくれる姿と、焼酎一杯を添えてくれ、忙しく動きながらも、それぞれの人が哀歓をもってて、本当の姿を一緒に感じて見ることができ、世の中がくたびれて大変になればここを尋ねて、必死に熱心に生きている姿を生で見ていると、自分の生活の活力素を得ることができるのかのようで、それこそが海岸街チャガルチの本当の魅力で風情だとも言われてるようだった。

...ソンジェも刺身を頼み、焼酎を飲みながら、そんな元気で威勢のいい活気に満ち溢れた人たちに囲まれた中で余韻にしたったひと時を過ごしていた。

“釜山共同魚市場“は国内近海水産物の最大委販場で1963年開場以後国内水産物委販量の相当部分を占め、夜明けならば間違いなく開かれる競り買いはもう一つの見どころで、こちらには鮮魚、干魚、海藻等多様な水産物を全国各地に供給してる国内最大の魚市場だが、魚市場の水準を越してて立派な観光商品としてでも申し分なく通るようだ。

毎年10月には”来なさい!御覧下さい!買いなさい!” というスローガンを掲げた南浦通り、チャガルチ、光復通り、竜頭山公園一帯に特設舞台が設置され、チャガルチ祭りフェスティバルが開かれ、新鮮な魚介類を安値で購入でき、その場で刺身や鍋物を調理してもらって食べられ、この時期は刺身や水産物を安値で食べられ、見てるだけでも楽しいらしい。

...ソンジェもそんな祭りが行われる時期に、また訪れてみようと思っていた。
...魚の匂い、人臭ささの匂い、どれもこれも生きいきとしている生々しい空気の匂いを感じていた・・・
...ここでは、理屈など一切無用で容赦なしの、熱気と活気に圧倒されっぱなしであった。。。。。
...なんで、そんなに皆な元気なの・・・
...なんでそんなに声が大きいの・・・
...なんでそんなによく喋るの・・・
...なんでそんなによく笑うの・・・
...なんでそんなに働くの・・・
・バイクで40分ほどのところの、海雲台(ヘウンデ)の浜辺へと向った。。。
韓国八景に数えられる海雲台は、青い海と白い砂が広がる景観の美しい海水浴場だ、21kmぐらいの広い白砂を 持つ海辺には夏のバカンスシーズンともなると、座る場所がないほど人出で賑わうらしく、収容人員は12万名位で94年8月2日には80万名の避暑客がきて、珍記録を樹立したほどの国内最高の海水浴場のようで、各種イベントと行事が年中開催され観光地としての面貌を加え他の季節でも波打ち際を歩くのは心地よく、夜は多数の屋台(ポジャンマチャ) がでてくるようだ。

ここの白砂場の砂は、長年の風化作用で整えられたきれいで身に埋めてもよく落ちる特徴を持った良い砂で、平均水深が1m程に浅くて海水浴するのに良く、周辺の海雲台温泉、椿島、五六島(オリュクド)、ダルマッイギル、オリンピック公園、ヨット競技場、松亭海水浴場、張山などが揃っていて、一つの観光ベルトを形成して沢山の人々を呼び込んでいた。
..一面に広がる砂浜は、どこか違う国に来たかのような錯覚をもたらした。
...明らかにソウル近郊の、海辺とはおもむきが大きく異なっていた。
,,シューズを脱ぎ砂浜を歩き、透き通った海の水の中に膝まで足を入れ、心地よさにしたった
...そして南洋を感じさせる潮風にうたれ・・・  砂浜に寝転び・・・  いつしか・・・   眠った。。。。。






・ソンジェは釜山に住んでる地元の人々に聞き、バイクで桜見物に出かけた
釜山市内でも・南川洞(ナムチョンドン)の、桜を見るならココ!言われるほどの桜が咲き乱れている桜通り・・・
地下鉄2号線・南川(ナムチョン)駅から、海の方に向かっていき始めると、ぽつぽつと桜のきれいな薄ピンク色が・・・
三益(サミク)ビーチアパート沿いの道脇 200mくらいのところにも、絶景の桜並木が・・・

「 あのぉ~  ちょっと  すみませ~~ん   写真を撮ってもらえませんか~  」若い女の子5人が寄って来た

「 えっ? 僕っ・・・?  僕のことっ!?  いいですよっ !   」
「 ファインダーを覗き  あっ  右の人ー  そぅそぅ キミ  もぅチョット  真ん中に寄って   」
「 そぅ  そぅ  じゃ~ いくよ~  キムチ-っ!!!   」  カシャッ !!! 

「 どうも  すみません ありがとうございました  それから  あの~  」

「 まだ  なにか?  」

「 わたしたちと一緒に  写真を撮ってもらえませんか!?  」

「 僕でいいなら  いいですよ   」  テレテレ ・:*:・(o ̄ー ̄o)・:*:・ テレテレ

...ちょっとハニカミながらもにこにこしながら、桜の木と海をバックに数枚の写真を撮った。ハタチ前後の若い女の子達と話したのは久しぶりのような気がしたが、ソンジェは満更でもなくいい気持ちがしていた。。。
...若い女の娘と接し、話しをしてると、自然とウキウキした陽気で明るい気分になるのは何故だろう?('-'*)エヘ

地下鉄1号線・教育大前(キョウデアッ)駅から徒歩5分くらいの場所でも、川を挟んで両脇にアパートが立ち並んでて、ここは住民のお散歩コースになってるようで、桜が色を添えていた・・・

ロッテホテルの後ろの西面(ソミョン)通りは、桜並木通りで夜には、屋台がたくさん出て、桜を見ながら一杯?!なんて情緒があっていい感じだ?!韓国では酒を飲みながら桜を見るという習慣がないので、屋台があるここの通りは、酒を飲みながら花見が出来る唯一のポイントだ!

地下鉄1号線・楊亭(ヤンジョン)駅から徒歩5分のところにも桜通りがあって、慶州(キョンジュ)や浦項(ポハン)へ続く東海南部線が走ってる所で、汽車の中から桜を楽しめるポイントらしく、釜田駅を出発してすぐの所にあった・・・

韓国の桜の名所は、慶尚南道の鎮海市(チネシ)や慶州(キョンギュ)だと聞いていたが、釜山もさすがに桜並木が多かった、やはり日本に近い所だからだろうか・・・

そして、桜の名所の慶尚南道(キョンサンナムド)鎮海市(チンヘシ)へと・・・桜祭りの時期には、30万本の桜並木がいっせいに花を咲かせ、毎年150万の人が白い桜の海に誘われるようにやってくる・・・南の海に面した軍港都市で、沖合に26もの島があって、鎮海の方に吹きつけてくる南からの海風を防いでくれるので、台風が来ても鎮海の海には静けさが漂い、恵まれた地理的な条件のもと、韓国海軍の軍港が作られ、海軍の街として発展し・・・

その昔、日本が韓国に桜を持ち込み植えたらしいが、歴史の悪戯で一つ残らず全部を伐採撤去した筈なのに、今も尚こうしてアチラコチラに多く残っている・・・・・誰か守り抜いた人も居たのだろうけど、それでもお構いなしに成長しつづけ、増えつづける桜の生命力の強さに脱帽せざるをえなかった。。。

ソウルの漢江の中洲に浮かぶ小島、汝矣島(ヨイド여의도)の桜並木とは、又違った華やかさと風情をかもしだしていた.....ヨイドは地が平坦でアスファルトで舗装され、道路に面した箇所が多いからかも知れないが
汝矣島(ヨイド)は、日本による植民地統治時代は軍用飛行場が建設され1971年まで利用され、その後は広場として整備され汝矣島公園として市民の憩いの場となっている・・・あの桜も、今振り返って思うと日本の置き土産なのかな.....
1975年には国会議事堂がソウル太平路から(現在のソウル特別市議会)、1979年には韓国証券取引所が明洞から移転し、1985年には韓国随一の高層建築の大韓生命63ビル(ユクサンビルディン 63빌딩、ちなみに地上60階、地下3階で、東京のサンシャイン六〇よりわずかに高い)が開業し、三大テレビ放送ネットワークの機能が集中し、KBS、MBCの本部・本社があり、2004年までSBSも本社を構えていた。

中州に経済機能が集中してるから、「ソウルのマンハッタン」と以前は言われてたが、汝矣島唯一の高級ホテル・マンハッタンホテルも名を変えてしまい、汝矣島をマンハッタンと呼んでいたときの名残りは殆ど見受けられなくなってしまった。

...ソンジェは、桜の木が取り持つ日本と韓国とを結びつける、不思議で複雑な因縁としがらみを感じていた...
...仲良く手をつなぎあってる時も、恨み、憎しみあってる時でも・・・関係なく桜の花は生き、そして開く・・・
...そんなことを考えていたら、ソンジェも、桜が自分のことのようにみえだしてきた・・・
...桜は,何かをソーッと囁やき、教えてくれているようだ.....
*それにしても因果なもので「侵略国日本」のシンボル!一番、嫌いな日本人は秀吉と伊藤博文ですと殆んどの人が言う。
秀吉は、1592年から李氏朝鮮(朝鮮)に出兵(文禄の役)したが、朝鮮各地での義勇軍の抵抗や李舜臣率いる朝鮮水軍の活躍と、明から援軍が送られてきたことで戦況は悪化し、休戦。しかし、く講和が決裂し、5年後の1597年再び朝鮮出兵をした(慶長の役)。秀吉はその最中の1598年8月18日に五大老筆頭の徳川家康や前田利家に後事を託して伏見城で没し(享年62)。秀吉の死を受けた日本軍の撤退をもって終結。。(韓国では文禄の役を''壬辰倭乱''、慶長の役を''丁酉再乱''と呼んでおり、明では''万暦朝鮮の役''と呼ばれている)

また日本の初代内閣総理大臣。伊藤博文は今から100年前にあたる、日露戦争終結の1905年(明治38)年、軍隊の威圧下で第二次日韓協約を調印させて韓国を保護国化し、自ら初代の統監となった「悪役」であり、その4年後の1909年10月26日にハルビン駅頭で銃弾殺害され(享年68)、実行した安重根(アンヂュングン)は、民族の恨みを晴らした「義士」となっている。

桜はそんな歴史の悪戯ごとには関係なく、毎年春の訪れを待って咲き乱れている。。。。。また来年も・・・・・
・地下鉄1号線南浦洞駅から歩いて10分ほどで、ちょっと首を上げたらタワーが見える、釜山の一番繁華街である南浦洞の中心地にある竜頭山公園(ヨンドウサン)は、釜山市中区メイン・ストリートである光復洞2街に属し
昔のから松が鬱蒼で松現山と呼ばれ、その山の形態が海から陸地に上って来る竜頭にあたる所と言うことから竜頭山といわれ、釜山の市民がずいぶん前から利用して来た公園で、竜頭山は海抜49mの丘陵性産地で、釜山タワーは釜山を象徴する塔で、海抜69m高さ118mで立てられ、この塔の展望台から眺める釜山市中心の長く伸びた町並みと美しい景観は、感嘆詞を連発せざるをえないほど素晴らしい景観だった。

見晴らし台は、慶州仏国寺多宝塔屋根に載せられている宝蓋を倣って作ったものらしく、エレベーターに乗ってタワー見晴らし台に上がって見下ろす景色は、昼には海までパッと目立って見える凉しさが・・・夜にはきらびやかな都市の明りが・・・釜山の夜景がソウルと違う点は、港に沿っているから、明りにある海波と静かに停泊している多様な船の照明が、港釜山の風情を見せ、天の川か星明かりかのような、しびれるような慌惚な光景を感じさせた。

公園の頂上には危機に処した時国を求めた民族の英雄だった、忠武公李舜臣将軍の銅像が、凛凛しい位相に南海遠い海を眺め、銅像の前に花時計が美しい花の中で時間を知らせてくれ、竜頭山公園は釜山市民たちがいつでも利用することができるプロムナードだけではなく、休息空間で一番適当な所で外国人の観光コースで利用度が高く、年寄りたちの休養地や隣近住民のプロムナードなど多くの活用がされてるようだった。

光復洞ではエスカレーターを利用することができるので、体の調子が悪い人は便利に竜頭山公園を上がることができ、市内を展望できる高さ118mの釜山タワーは、高速エレベーターに乗って上がるとブサン市内の街と港が目の前に広がって見える。天気のいい日は、日本の遠く対馬まで望むこともできるようだ。
..ソンジェは、ソウル南山のソウルタワーを思い出していた...
..でも、海の香りが目の前に広がり、飾りっけがなく逞しい生活観に満ち溢れた、違いのある何かも感じ取っていた。。。。。
・広安里(海水浴場(カンアンリ)は、釜山広域市水営区に属し、海雲台(ヘウンデ)海水浴場の西の方にあった。
砂場は長さ1.4km,広さ64mの大きさで砂が良く、周辺にはカフェー距離が形成されていて若者達がたくさん集まるところで、水が綺麗なことでも有名だ、水がきれいなように周辺スヨン川も水がきれいなので、釣りをしようと川を求める足が絶えず、周辺には多くのカフェーが立ち入ったカフェーが立ち並び、300余所の刺身屋も列をなしていて海の趣を感じる雰囲気がいいところだった。

広安大橋は 2003年1月新しくでき開通した国内で一番長い7,420 mで多くの観光客に人気があって釜山の名物になっていた。

...ソンジェは生まれて初めてこんなに長い橋を見た・・・  今まで描いていた橋とは明らかに違い、海外の写真などでよく見るような大きな長い橋だった...  橋の中央から見る陸の眺めは、又、一味ちがって写った・・・
...陸から眺めて感じる物と、橋の中央から陸や海を眺めるのとでは、明らかに感じ取るものが異なっていた・・・
.その橋をバイクで思いっきり、飛ばして走り抜けた。。。。。
・太宗台公園(テジョンデ)は、釜山広域市影島区東三洞に属し、海岸が奇岩絶壁の場所だ。
2本の橋でつながって影島(ヨンド)へも行け、波の侵食で作られた奇岩怪石が絶景で、展望台から天気のいい日は近くは五六島、遠くは対馬まで見える名所で、海抜250mの最高峰を含めて542,390坪の面積をもつ名勝地で、鬱蒼に生い茂った樹木と、波がぶつかる奇岩怪石で成り立った断崖絶壁とが、絶景を成す観光名所となって

燈台の下にある神仙岩は太宗台を訪問する時 漏らすことができない所らしく、約12万年前に形成されたという歴史を感じる、きれいに整備された周りの道路に沿って展望台に着くと、優しい母子像が温かく迎えてくれた。

...ソンジェは断崖から下を見下ろし、岩に波打つ大きな飛沫とその絶壁さに驚嘆した。。。。。
...こんな絶壁にどうやって建てたんだろう・・・
...どうしてこんな険しい所にあえて造ったのだろう・・・
...母子像は何を言おうとしているのだろ・・・

・海雲台海水浴場から15分ほどのところの、松亭(ソンジョン)は、韓国の第1の港市に属し、海水浴場の中では一番郷土的な雰囲気が漂うな所だった。
釜山で東の方へ20km離れた松亭海水浴場は 2kmの白砂場と清い水、入口に鬱蒼な松森が海水浴場としての風情を加え、水がきれいで水深が浅く砂の触覚もいいし、子供と水泳初歩者たちも安心して水泳を習うことかでき、東北の方末には淡水と岩が多くて海岸釣りを楽しむことができ、海女たちが今取った生きの良い水産物も即席で味わせてくれていた。

開けた東海を眺めて海辺をぶらつくことができ、デート場所として人気があり 都心の海水浴場としては比較的人波が減って一日コースでも諸般の便宜施設と慰楽施設がよく揃っていて、全形的な漁村の姿もそのまま見られ、目の前に位置した竹島には鬱蒼な松林と休息空間が用意されていて毎年祈願祭が開かれて松日亭という亭子で眺める日の出と月出は壮観なところだ。

堤防を渡って赤燈台、白燈台の位置から、目の前に浮かぶ小さな小島(竹島)を眺めながら東海の彼方までつづく海を見つめつづけた。。。。。
..海は・・・潮風は何故こんなに心地よく人を落ち着かせるのだろう・・・

・国際市場は、南浦洞の中心にある釜山最大の在来市場で衣料品、日用雑貨品、電気製品、眼鏡などの市場として一番大きくて多様な品目を取り扱っていて、こじんまりとした店が無数に左右立ち並んでいて、歩いて見てるだけでも楽しいところだ。

観光地としても一番人気があって様々な観光客が訪れているようで、人の多さには驚いたが、周りには映画館、屋台などいろんな楽しめるところが多くあった。

...この都会的ではない、雑掻とした店波と人ごみに、ソンジェはある種の懐かしさと安らぎを覚えた。。。。。
...生活のため人は必死に働いている・・・働いてる人が輝いて逞しく見えるのは何故だろう・・・
・海東 竜宮寺(ヘドン ヨングンサ)は、東海の最南端に位置し、解凍竜宮寺は1376年に恭愍王の王師であった懶翁大師(ナオンデサ)が創建したと言われている。
東海岩の上に建てられた珍しい寺で、大きさが小さくて大雄殿(テウンジョン)の仏像は海に向かって見すえ、国内3大観音聖地の一つと数えられ、竜宮寺は海松一杯な海岸に席を取って、万頃蒼波が足下をうねってることから “ 水上法堂 “ とも呼ばれているようだ。

竜宮寺舍利塔(サリタッ)横から見る朝日の光景が、味わうことができないほど壮観で、その恍惚さに魂さえ放すほど.静かな山寺を背景に、新年来光場所では最高の所らしい、祈祷霊験があって心より祈ると、誰もが現夢を受けて一つ願いを必ず成せるという、神霊の加護がある所としても今も数多い参拜客が列をなしていた。

特にここは真心を込めて祈りを捧げると、必ずひとつの願いが叶う神霊らしい所だと伝えられ、一二支の干支も全てまつられていて、入口には百八階段があるのに、至極精誠で一度来て行けば百八世まで生きるということから、長寿階段と言われ、両側に石燈が定立され、必らず竜宮に入って来る気持ちを感じさせるようになっていた。

まるで仏様の家に招待された気分のような、心地よい緊張感、それでいて心穏やかな不思議な感じで、海岸の絶壁に立てられているので、景色も最高だ!がちょうど「お釈迦様が来られる日が近づいていることもあって境内は提灯の波であふれていた。今まで見たこともないほどきれいでびっくりだ、人々の仏様を思う敬虔な心を感じてとっても感動した。(韓国の暦(旧暦)で4月8日はお釈迦さまの誕生を記念した日で、クリスマスと同じ意味を持ち、韓国では、お釈迦様の誕生日もクリスマスも公休日なのです。)

*韓国の今の人口のうち上位10個の姓が占める比率は64.1%。で、計286個の姓のうち上位20個の姓の人口比率は78.2%、上位100の姓(99.1%)が全体人口の大部分を占めている・・・・これもまた民族の歴史だろう・・・
...ソンジェは竜宮伝説は長寿を祈る人々の思いのことや、真心を込めて一つのことを一心に祈ること、108階段の煩悩など・・・人が願い、祈ることの摩訶不思議さを感じていた。。。。。
...どの人もこの人も、人々は何故,祈ったり,願ったりするのだろうか・・・
《01、天外孤独の身よりも何も無い人たちは、それでも何故生きるのだろうか・・・?》
《02、病や事故に侵され目や耳、手足の自由や体に障害を受けた人は、それでも何故負けずに生きようとしてるのだろうか・・・?》
《03、老いて何も出来なくなってしまった人たちは、それでも何故生きるのだろうか・・・?》
《04、この世に生まれ出たとき何をしようとしたのだろうか・・・?》
《05、生きるってどういうことなんだろうか・・・?》
???・・・・・・・・・・・・・・・・・??????・・・・・・・・・・・・・・・

・梵魚寺(ボモサ)は、大韓仏教曹渓宗第14校具本社で、禅刹大本山金井山梵魚寺は釜山広域市金井区,金井山麓に位置づいた大寺刹で、韓国 5大寺刹の中の一つで、梵魚寺は海印寺、通度寺と一緒に嶺南の3大寺刹として嶺南仏教の中心軸を形成している所だ。
長年の歴史と共に数多い高僧たちを輩出し、多くの文化財と遺跡を保有し、境内の数多い歴史の遺跡だけでなく、お寺周辺の景観が美しくて、釜山で一番大きな寺のようだ。
..ソンジェはここでも思った、慶州(キョンジュ)と同じように、寺は何故、山の頂上付近にあるのだろうか・・・?
..何故・・・  こんな山の上に、築かれているの.....
...誰にも邪魔されず、安心できるから・・・  空に近いから・・・  そこから下を全部、見下ろせるから.....
・釜山鎭市場(ジン シジャン)は、釜山市東区凡一洞に位置し、鎮市場は、全国の三大市場の一つであり、88年の長年の伝統と400余りの店鋪で形成されていた。

主な業種は反物、洋服生地、寝具、皮革、既製服なので、釜山最大の婚礼用品の衣類おろし売り市場で名声が高く、地下鉄凡一洞駅に沿っていて交通施設が便利で、市場内には一般生活に必要なすべての商品が陳列されていて、商品を購入するのがとっても便利で、他の商店街よりも案外と低廉で品質も優秀で品物もふんだんで多様に用意されていた。
..この街は何故かしら女性と母の香りがした...
..服の生地の匂いや、結婚衣裳などの匂いのせいなのだろうか。。。。。
*ソンジェは出かけたところや気になったところを、静止画のデジカメ写真や動画のビデオを撮ってパソコン内にインストールし、勿論、その日に感じたこと、浮かんだことなどを書き止め、毎日、必ずパソコンに保存していた...思いついき書きとめたメロディや詩も、随分な量になってきていた。。。。。

この毎日インストールしたり、書き留めていたパソコンの中に、ソンジェが探し求めているキーがあることもまだ気がつかずに.....


《01、心が弾んでときめきウキウキする時ってどんなときなんだろう・・・?》

《02、楽しい時嬉しい時ってどんなときなんだろう・・・?》

《03、血がさわぎ心が躍りエネルギーが湧いてくる時ってどんなときなんだろう・・・?》

《04、生甲斐を感じる時ってどんなときなんだろう・・・?》

《05、心地よく気持ちいい時ってどんなときなんだろう・・・?》

《06、目も顔も笑える時ってどんなときなんだろう・・・?》

《07、一生懸命必死になって頑張れる時ってどんなときなんだろう・・・?》

《08、時を忘れるほど夢中になれる時ってどんなときなんだろう・・・?

《09、幸せな時ってどんなときなんだろう・・・?》

《10、悲しい時虚しい時ってどんなときなんだろう・・・?》


・・***考(; ̄  ̄)m思   探( ; ̄_ ̄)ゞ迷  違う(( ̄_ ̄ )灯(  ̄_ ̄))違う  !( ̄_ ̄ゞー☆???


*ソンジェは長らく滞在していた釜山から、約300km以上、韓国・朝鮮半島最南端からは約 90km離れた韓国最大の気候温暖なリゾートの島
済州島(チェジュド)まで、飛行機を使えば、わずか 55分で行ける所を、バイクを持ち込み、約 11時間もかかる、高速フェリーを使って済州市街の北東にある「済州港」に向う準備をしていた。。。。。



**** そ *** れ ** で *** は **** 創作続編 26話パート(2) * E N D *

Continued on the following page. ・・・???

  by raymirainya | 2008-12-15 14:41 | 創作続編26-2

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