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創作続編 26話 p-3 二人だけで ニューヨーク

年の瀬のあわただしさを、まるで感じない

2008年12月16日(火)・・・晴れ・・・13℃~3℃


創作ストーリー・続・美日々第25話~が有ったとしたら・・・第 2 6 話 『  感   激   』

※それでは、創作続編 ・第25話・・・・・ 『 それぞれの思惑  』 にひきつづき
※        創作続編 ・第26話・・・・・ 『  感     激  』 を、お届け致します。


Part 3、《 ミンチョル&ヨンスの・・・ 二 人 だ け で   New York !!!!!!  》


*ヨンスは医大のソン・ギュトン担当医から、まだ子供を作らないように・・・(そんな事になったら身が危険)と、念を押され、そんな夢のようなことは、あきらめ覚悟はしていたものの、分かっていながらも相当なショックを受けていた・・・ 愛するミンチョルの子が早く欲しかったのだが・・・

又、一方ソン・ギュトン医師は、ヨンスの手術成功後の骨髄適合状態に深い疑問をいだいて色んな角度からの研究調査をし続けていたのだが、そんなある日に意外な事実に突きあたっていた。

その意外な事実とは、日本の骨髄提供者のドナーとヨンスとのDNA遺伝子基礎配列を更に奥深く探求したところ、鑑定結果が塩基配列パターン親子の肯定率=99.999%と出ていたのだ!!!!!!。
さすがに、ソン医師も驚嘆した!!!!!。
《 これはっ  これは  一体どういうことなのだ・・!?  》 ・・・ヨンスさんは天外孤独の身の上で、親族は誰れ一人居ないとなっていたのに・・・・・?  しかも、日本でのドナーが・・・???  何かが、隠されている・・・!?

早速、日本の骨髄バンクや、学会の知人である医大の医師のルートなどを通じ、正確な情報収集とリサーチをし始め、その旨を依頼していた。。。

「 医療分野の科学技術は予想以上に進んでいる  データは 決して嘘はつかない 」 窓際に立ち外を見た


*そんなある日、ヨンスはミンチョルから、海外出張に同伴するようにと、ヨンスは突然言われた。
ソン・ギュトン先生からは保障つきの OK承諾を得て、念のために海外での病院も万が一のため紹介された。
実は、ミンチョルは、医大のヨンスの担当医であるソン・ジュトン先生には事前に真意を伝へ、既に了解を得ていたのだ。・・・それを、あえてヨンスには内緒にして・・・

ミンチョルは日本の東京、アメリカニューヨークとEメールで事前に詳細内容を伝え、要点を絞り簡潔ににテキパキ手短かに仕事を済ませるつもりでいた。
体調がすこぶる安定して健常者と何ら変わりなくなってきていたヨンスを連れ、今回の海外出張では、東京~ニューヨーク経由で、留学していた歴史ある町ボストン市と、帰りにハワイに立ち寄り二人だけの秘密裏な、リフレッシュを計画をしていたのだ・・・。(v^^)

ミンチョルの今回の意図は、国内から未だ一度も海外に行ったことの無かったヨンスへのプレゼントで、ヨンスの好きな美術館巡りや、ささやかな新婚旅行は皆の助けお陰でしてはいたものの、自分の力とプランで、ヨンスに♪☆プレゼントしたかったのだ!!!!。そんな思いがズーッと、モヤモヤと頭の中で燻っていたのだ、誰にも何事にもじゃまされたくない、されない、実は、そんな 『二人だけのスイートな旅行』 だったのだ。
(ヨンスの体の疲れを気遣い、ダイヤ・決められたスケジュールではない、フリータイムでオープンな自由気ままな余裕のある、ゆとりの旅行にしたかったのだ。)

今回の海外出張先、日本、アメリカへの事業提携の視察と商談打ち合わせには、1ヶ月といつもとは違い期間も異常に長く、ヨンスと二人だけで、ワイドシートでゆったりくつろげるCクラス(エグゼクティブクラス)を手配して・・・

ミンチョルは不在時の会社の代行者にキチャンをを選び、全面的に権限と責任の委任をした。
ヨンスもミンジに家のことなど諸雑用を頼み、セナやナレにも話しデザイン学校へも長期休日の届けを出していた。
ミンチョルは緊急時の連絡が直ぐ取れるようにと、抜かりなく携帯電話機能も、国際電話サービス&国際ローミングサービスの二つのジャンルのオプション契約を追加していた。

初めての飛行機、初めての海外、何もかもが初めてずくしでヨンスの心は喜びと嬉しさでハジケていた。
しかし、その日が近づいてくるに従い興奮して眠られなくなってきていた。
荷造りは十分に何度もチェックし、洩れや忘れ物は無いはずだが、それでもなかなか落ち着けなかった。

「  ねぇ  ねぇ   あなた  あなた~ったら  もぅ 寝ちゃったの   」

興奮して寝付けないヨンスに反して、ミンチョルは、気持ち良さそうにスヤスヤと寝息をたてていた。。。


*そんなある晴れ渡った日、仁川国際空港から、まずは、近くて遠いと言われている国、日本の東京へと2時間半のフライトの途に着いた。
空港には、ソンチュン、ミンジ、キチャン、キュソク、ユンジュ、それとラスベガス公演に出かける前のセナとナレたちが見送りに来てくれていた。ソンジェは国内の旅に出ていたが・・・

成田空港に着いたミンチョルとヨンスは、迎えに来ていた車に乗り込み東関東自動車道を通り、首都高速湾岸線を抜け台場線に入り、レインボーブリッジを通って六本木のグランドハイアット東京ホテルに到着した。
ホテルの周りには、六本木ヒルズ、テレビ朝日が直ぐ隣に見え、国立競技場、神宮球場、明治神宮外苑、東宮御所などが目の前に見える。・・・六本木の町と赤坂がよく見える。

「 ヨンス  どうだい  日本は   」

「 えぇ  ソウルの街とよく似てると思ったわ   」
「 でも  来る途中で  車が左を走って行くので  何だか  気持ち悪かった  」
「 それと  もっと時間が掛かると思ってたけど  直ぐ着いちゃって早いのに驚いちゃった  」
「 こんなに  近かったのね  」

夜、ホテルのレストランでディナーの後、六本木、赤坂の町へと、ミンチョルとヨンスは二人して出かけた・・・

翌日、翌々日と、ミンチョルは一気に東京での仕事を休まず精力的にこなし、予定していた商談と契約はすべからくうまく成立した。
それぞれの関係先から、歓迎のパーティが用意されていたが、今回は全てを丁重に断った。
ホテルで自分の仕事を一人待ちわびているヨンスに、余計な気苦労や気遣いをさせて疲れさせたくなかったのだ。二人だけでホテルの部屋でくつろぎ、邪魔されずに楽しみたかったのだ。。。
しかし、4日目には早やホテルをチェックアウトし、成田へと向った。。。

「 日本は近いから いつでも直ぐ来られる  又  今度ゆっくりと来よう   」 と、ヨンスに言って・・・

あくまでも東京では、仕事が全てだった。。。
但し、ホテルの夜のヨンスへの仕事も,しつこいくらい十二分にしちゃったけど... ( ・∀・) アヒャー


*成田空港第1ターミナルは、チェックインカウンターからイミグレに至るまで、すべて待ち時間ほぼゼロで通過し、厳重な荷物検査も無く、拍子抜けしてしまうほどだった (^^;)
成田→ニューヨーク運行距離(13,490マイル=1マイル=8ハロン≒1,609.メートル(主に陸上)とする場合と1マイル=1,852メートル(主に船や飛行機)) までの往路は12時間、復路は14時間かかり、とんでもなく長い時間だ。・・・ヨンスのコンデションだけが気がかりだった

アメリカン航空のファーストクラスは定員18名 個室タイプではなかったが、シートはもちろん180度リクライニングできるフルフラットで、居住性は申し分はない。
飛行中のエンジン&風切り音をシャットアウトするノイズキャンセルヘッドフォン(寝る際の耳栓代わりにもなる)が配布されるのも嬉しいことだった。。。これならヨンスもゆったり寝ながら行けるだろう (^◇^)

「 さあ~  ヨンス!!!  いよいよアメリカに行くよ!!! 」

「 そうね  嬉しい!!!  でも  何だか心臓が  ドキドキするわ!!! 子供みたいでしょ!!! 」

「 嬉しいかい  よかった  ヨンスさんに喜んでもらえて   」
「 音楽や  映画を観ながら  寝ていけばいいよ   」

「 うん  そうするわ   何でも  あなたの   言う通りに   」

そう言いながら機内でミンチョルは「アメリカ50州を読む地図」、「民族世界地図」の2冊の文庫本を読み、アメリカの地域による多様性やら、民族の多様性と問題の複雑さは解ってきだしたが、やはり機内で読むのにふさわしいお気楽な本ではなかった。(^^;;)、
快適なフライトは時間の過ぎるのも アッ!!!という間で、機内食をしおへ、ヨンスと同じようにフルシートでウトウトと一眠りして目が覚めると、飛行機はもうアメリカ大陸上空を飛んでいた。 (^o^)
ニューヨークの国際航空には、JFK国際空港の9つあるターミナル(もう一つの、ニューアーク国際空港(EWR)は、コンチネンタル航空と、ノースウエスト航空の2社に限定され、実はこの空港はニューヨーク州にあるものでなく、お隣、ニュージャージー州のニューアークという町にあり、隣の州と言ってもマンハッタンから見ればハドソン川を渡ってすぐの所で、アクセスの面で不都合はない)に到着した!。

「 さぁ~  ヨンスさん   ニューヨークに着いたよ !!!  」

「 何だか  怖いわ !!!  」

国際テロの影響もあってか、アメリカ入国時はさすがに並ばされヨンスの体調を心配したが、しかしまぁここの審査が厳しければ厳しいほど、入国してからの安心度もUPするというもので、ミンチョルはヨシと考えるようにした。
NYの空はどんよりしてて、いかにもNYの空という感じでスリリングな感じがしたが、何となくニューヨークに着いたかと思うと二人はワクワクした。
ミンチョルは空港の売店で雑誌「The New Yorker」を購入し、この雑誌は毎週のNYのエンターテイメント情報と評論が掲載されているので便利で、同じく日曜日にデリや街のスタンドで売り出される「The NewYork Times」日曜版もとても便利だ。厚さは日経正月版の3倍くらいあって仰天してしまうが、ビジネス、アート&レジャー、TV番組、ライフスタイル、クルマ、書評など15の分冊になっていて「The NewYork Times Magazine】も付いてきて、ザーッと目を通すとNYの今がよくわかるようになっていた。

迎えに来てた車に乗り込み、空港からマンハッタンにやってくる途中、明らかにデカイビルが並んでいるエリア、それが、ニューヨークだ!。
マンハッタンの新しいランドマークになっているウェスティン ニューヨーク タイムズスクエアホテル(WESTIN NEW YORK TIMES SQUARE (NYCWTTS))に着いた。部屋には特製のヘブンリーベッドとヘブンリーシャワーが完備され、13のスクリーンを持つ映画館「LOEWS THEATRES」やヤンキースのクラブショップなどがあるショッピングコンプレックスにも繋がっていて便利な、2002年秋オープンのカラフルで大胆な、外観デザインは、活気ある”今”のニューヨークを感じさせる最高級ホテルだ。

「 ” 心が躍る! ここには何かがある! ”  」 ミンチョルは本能的に、そんな空気を感じ取った
「 ヨンスさん  このホテルは今一番人気のあるホテルなんだよ   」
「 何でも揃っているから  何にも心配はないよ   」

「 デザインもいいし  カラフルですばらしいホテルね   」
「 ありがとう   あなた   」

*ここで簡単にニューヨークの地理について・・・  又、ウンチクを・・・
ニューヨークの中心一般的にニューヨーク!。と呼ばれる ” 巨大な中州 ” = ” マンハッタン島 ” である。
二本の川に挟まれた東京23区程度の広さのこのマンハッタンには、およそニューヨークの観光地のほとんどが集中している。
経済の中心で、アート、ミュージカル、ジャズ、ファッションなど何でも有りの、エネルギッシュな街だ。

マンハッタンは京都のように碁盤の目状に区画が分かれてて、縦の道をアベニュー(Avenue~街)、横の道をストリート(Street~通り、~丁目)と表わしいる。
。。。だから、街のほとんどは数字で表現すれば、大体の位置は分かる。

ニューヨークの街は東西方向の道路が34th Street (34丁目)のようにStreetで、南北方向の道路が5th Avenue (5番街)のようにAvenueで表され、7番街-57丁目-6番街と歩けばメインストリートを通ることになるので安全なのでは・・・

・アベニューは東から西
・ストリートは南(ダウンタウン)から ~ 北(アッパータウン)に向けて数字が増えていく。
だから、現在地が8th Avenue,42nd Street で、目的地が5th Avenue,86th Streetだったら、北東に進路を決めればいいわけだ。
覚えるとかなり移動が楽になる。というか、覚えてないと確実に迷ちゃうだろう?。
ちなみに、歩くとアベニューは一区画 5分ぐらい、ストリートは一区画 1分ぐらいかかる。
それで、目的地までの時間も大まかに把握ができるというわけだ。

「何番街の 何丁目」とか言ってるけど、別に難しいことじゃないよ。

マンハッタンの右下の端を 0として X軸と Y軸をとって
x=-1のラインが1番街、
x=-2のラインが2番街…ってなカンジ。
で、
y=1のラインが1丁目、
y=2のラインが2丁目…ってなカンジです。
だから、全然知らない店とかでも「4番街と5番街の間の78丁目!』とか言われただけで、感覚的に場所がわかちゃうでしょ!?。

ニューヨークに関する情報を、マンハッタンで 「行ってはいけない場所 」を三箇所教えましょうか。。。
・ハーレム(黒人街。125番通りだけは綺麗になったが、それ以外は廃墟が多くて危険)
・夜の公園(セントラルパークは、昼間は平気だが夜は人気がないため危険)
・川沿い(倉庫街。やはり人気がないため、危険)

それと、交通手段。
・地下鉄は、2ドルでどこでもいける。
・7ドルで、一日乗車券が買える。
・それ以外は、メトロカードで好きな額だけ入金が可能(日本の Suicaみたいな感じかな?)


*NYと言えばジャズ!。ハーレムのジャズクラブと「ヴィレッジ・バンガード」「ブルーノート」「スウィートベイジル」「バードランド」が有名だが
NYでも老舗的存在のジャズクラブ“Village Vanguard”で、ヨンスとジャズのライブを堪能することに・・・♪
さすがにハッピーホリデイシーズンの週末とあってか、店内は足の踏み場もないほどの超満員状態だった(^^;)
店内は地下倉庫を改造したような感じで、はっきり言って狭いが、その分演奏者たちの臨場感溢れるパフォーマンスを間近で約1時間15分ほどのライブを堪能して、肌で感じることができたのが良かった。

「 あなた  ジャズに興味があったの  全然知らなかった  」
「 でも  こうして生演奏を聴いてると   雰囲気に呑まれていくから  ジャズって  不思議ね  」

「 ヨンスさんは  音楽にはあんまり興味を持ってないみたいだから  付き合わせちゃってゴメンね   」

「 いいえ~  そんなことない   好きよ  好きなんだけど  わたし  音痴だから  」

ニューヨークの人の特徴といったら声が大きくてジェスチュアー好きといったとこ「いいも悪いもすべて持ち合わせ、やっぱダイナミックですごいデス!!! やっぱここのジャズクラブでも!


NYにはリンカーン・センターやカーネギーホールなど世界のクラシック音楽家の桧舞台があり、そこでコンサートも聴きたい!・・・
ミュージカルも観たいけど人気作品はチケットを確保するのが大変で、だけど、ブロードウェイのミュージカルを観たいな!・・・
ニューヨークではいたるところで映画やテレビの撮影が行われているが、そんな風景もニューヨーカーたちからみれば日常茶飯事のようだ。
ヴィレッジやソーホーは世界の流行の発信地!それにミッドタウンの摩天楼とウォール街の摩天楼の中間にあるこの辺りは、なにか雑然としていて自由な雰囲気があって面白いところだ!
二人は色んなことを思いめぐらしていた。。。


*セントラルパークにミンチョルとヨンスは出かけた。。。
都会に緑を、という合言葉で生まれたというセントラルパークは、事実マンハッタンの何分の一かの広さを緑で埋め尽くし、本当にアメリカ人は何もかもがデカ~イ!。
その世界の中心たる大都会にあって、メチャクチャに広い公園で、横断するだけで一苦労だ。
*セントラルパーク抜けてメトロポリタン美術館へと。
セントラル・パーク西側の 80th St ~ 84thStの 4ブロックを占める巨大建築!その名を 「MET」の愛称で親しまれ、アメリカ最大の美術館で世界四大美術館の一つだ。 

パリのルーブル美術館、ロンドンの大英博物館そしてSt・ペテルスブルグのエルミタージュ美術館と並ぶ世界4大美術館である。

世界四大美術館 : 「ルーブル美術館」、「メトロポリタン美術館」、「エルミタージュ美術館」、「故宮博物館」、
 但し「故宮」ではなく、「ボストン美術館」との説もあるが (謎?)。

「 ヨンスさん  四大美術館っていったい何 ?   」

「 ルーブルとメトロポリタンはわかるとしても   」
「 人によっては、大英博物館とか、ボストン美術館とか、スミソニアンとか、ペテルスブルクのエミルタージュとか、スペインのプラドとか、挙句の果てには、台湾の故宮博物院とかを挙げる人もいるし・・・  」
「 美術館じゃなくて  博物館も入ってるしサ~?   」

「 わたしも  よくわからないの  でも  英語で言ったらどっちも 「ミュージアム」よね?  」

5番街に面し、セントラルパークの敷地内にあるメトロポリタン美術館は、敷地面積13万・、年間総観客数は500万人にも達し、先史時代~現代の 5000年に渡る美術・工芸品を所蔵し、330万点以上。エジプト、ギリシャ・ローマ美術から、現代美術までの作品を鑑賞することが出来るところで、そのうち4分の1を、236のギャラリーで展示・公開していた。

ニューヨークの数ある美術館の中でミンチョルは、メトロポリタンに絞るのは大変だった。他にも近代美術館、グッケンハイム美術館、ホイットニー美術館、ブルックリン美術館、、、。どこもすご~い!しかし絵画鑑賞にはいまいち興味に欠けヨンスを喜ばすのには、博物館的要素も強い美術館ということで興味も・・・満たしてあげられるだろうか?と、首を傾げながらも、結局は、メトロポリタン美術館を選んだのだ。

毎日通っても一週間はかかる巨大さで、そこを数時間で鑑賞などとは所詮無理なことで、アートに関して欲張りな人がいかに効率良く見て満足感を味わうか、プランを立てて館内見取り図でシュミレーションまでやって計画倒れにならないように、10時間コース~5時間コースとかにシミレーションを立てて入らないと・・・

結局ヨンスと相談し、5日間かけて見たい箇所を絞って廻るようにした。

正面玄関の風格からしてビゲスト(ビッグの最上級)で、ここは神殿か!? はたまたギリシャ文化遺産か!?
まるで「要塞」のような・・・

5番街に面した82th St.の正面入り口から入ると大ホールが、そして案内所や荷物預り所があり、案内所でガイドブック(館内案内)をもらい通訳できる人もいて、ガイド付ツアーなどを教えてくれ「美術館案内」や特別展の予定などがもらえるようになっていた。

展示量が多い。多すぎる!!!
超一流の作品の大渦の中にいると、感覚が麻痺してきて良いモノも良いと感じられなくなってしまい脇役がいない。
そしてあまりにも広い!!!   広すぎる!!!
これでもかというほどに展示室があり、最後は「もう止めてくれ」という気分になってしまう。「この先にさらに部屋があったらどうしよう」という不安を抱えながら、館内を回ることになるのは必然。

「 で・・・ でかいですねえ~?。。。(汗)   」
「 見終わりませんね。。。  」
「 全部は無理ですね。。。(きっぱり)  」

はぁ  はぁ ・・・と、何やら情けない溜息をつきながら巨大エントランスを潜ってみれば・・・・
悪夢再び・・・・(涙) はぐれたら二度と会えませんね?(←大げさ)

「 と・・・ ともかく! 二階の絵画コーナーに行ってみましょ!  」
「 お・・・  おー!   」

まずは”前向き”に正面へ直進。 階段をずずんと登り、たどり着いたその先の部屋は・・・・
こんな名画があちこちに・・・・
ターナー、コロー、ミレー、そして印象派の作品群の中に突入!ここが館内で一番人気があるのは当然!。これらの有名作家の作品がオンパレードなのだから。。。ヨンスも大喜びだ!ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、モネ、、、名前をあげたらきりがない。雲の上を歩いているような幸せな気分で混雑する人の隙間をタラッタラ~。とても一つ一つの作品から・・・               

世界に36点しかないフェルメールの絵のうち、5点を所蔵していて、まず、「窓辺でリュートを弾く女」
フェルメールの「少女」は、フェルメールの絵は、綿密なデザイン・計算のもとに描かれていて、「ここは、こういう理由でこうなっている」と説明されると、ヨンスは、なるほどと感心し・・・
「水差しを持つ女」の絵は、解説を聞くと面白くなり、意図や状況をさらに知りたくなり、熱心なファンになりそううでフェルメールの絵を見るためだけに、海外旅行をする人もいるとか・・・・

ルノワールの「シャルパンティエ夫人とその子供たち」は、雰囲気や、子供の表情が良く、ヨンスが、あの家族の家と同じく好きな絵の1枚だった。

ジャクソン・ポロックの「秋のリズムは、映画「2人だけのアトリエ」で、ポロック自身のことも良く知られるように・・

ルーブルや大英のように、地域別に分かれた美術品や歴史的な遺物の展示がメインだが、その他にテーマ展示として、「武具」を扱った展示が・・・

西洋の鎧を中心に、日本の鎧兜や、中国の鎧なんてのも・・・
ブロードソードやレイピア、日本刀など武器もたくさんあって、なかなか面白い趣向だった

展示品を見ると、西洋では馬にも相当ゴツい鎧を着せていたようだ。こんなんで歩けるんだろうか、というぐらいでかい鉄の鎧を馬が装備して・・・

二人が地域別の展示で面白かったのは、アフリカだった。
アフリカ人ってのは、およそ西洋人とは明らかに違う発想で美術・工芸品を作って
言い換えると、どうみても「ヘン」なものが多くって「とてつもなく」目がでかかったり、鼻がでかかったり、あごがでかかったり、何か余計なものがくっついていたり、デフォルメが激しい。

しかし、ヘンだからといって、その文化が遅れてるとか、劣ってるとか言うわけではなくって
それは、通ってきた道とは違うから、道のはるか後ろを通っているのであれば、それは文化としては遅れているのかもしれないけど、遅れている事が劣っているかどうかはまた別の議論で、少なくてもアフリカの工芸品のデザインは私たちの歴史には無かったもので、それは遅れているとは言えなく、単に異質なだけ・・・
やっぱり異質なものに対してはどこか恐怖を感じるのも事実で、何を考えてるか分からない恐さ、純粋に見ていて面白いが、同時に恐くも・・・?

価値観の違いを受け入れるっていうのは、口で言うよりもずっと難しいことなのかも知れない?と、二人は思った。




イスラム美術&ギリシャ美術もパスして、そのまま二階で日本美術を覗きたかったが、ひとまず一階に降りて武器、甲ちゅうの部屋へ移動。ヨーロッパ、近東、アジア、南北アメリカから集められた武器がマニアにはたまらない間隔(感覚)で展示されている。

「 ヨンスさん  隣りの19世紀の部屋を見たら 一階の面白い部屋に行くからね~!  」
「 面白いって~?  」
「 世界中の  いろんな武器が  展示されているんだよ   」
「 すぐ  行こう!」
「 ン・・・?    」 ミンチョルの子供のようなハミカミように、ヨンスは男の子を感じた

ケーキを食べて、残りの時間をゆった~りと見学し、カフェテリアから一室おいて隣の20世紀美術の部屋では一階と二階に分かれて、ボナール、ピカソ、カンデンスキー、、女流画家ジョージア・オキーフの『赤、白、青、、、』『黒いアイリス3、、』も並ぶ、そしてポップ・アートの画家リキテンシュタインの絵も。

ジメッとした展示と違い、サンルームの様に明るい展示室は疲れた見学者達に大いなるうるおいとエネルギーを注入してくれる。・・・ここからは日を改めて観ることに・・・

屋上にある 20世紀彫刻庭園から一望できるマンハッタン、そしてセントラルパークの上空からの眺め!

「 アーーー!  この美術館にこられてヨカッタ~   」

さわやかな午後の空気、美味しい、と二人は思った。
閉館キリギリまで楽しんで ” Metropolitan Museum ” を、後に。。。

はっきり言って、236箇所もある壮大なギャラリーは、広すぎて1日なんかでは全然見切れない。まだまだ後4日間ここに来られる。。。ゆっくり堪能して見よう・・・ヨンスはそう考えていた。。。
メトロポリタン美術館から出て、セントラル・パークを横断することにした・・・
それにしても、この公園は広い。


*それではヨンスさん、ベセスダ噴水の前を通って、イチゴへ行きましょう~★」
さて気分を変えて、やってきたのはベセスダ噴水!!!!  観光ポイントだけあって、結構人で賑わって
ベセスタ噴水 : 聖書に登場する「エルサレムのベセスタの池」になぞらえて造られたと言われるその噴水は、『ここはヨーロッパ?』と言った様相の美しい円形広場。 エルサレムのベセスダの池になぞらえてつくられた噴水。中央にエマ・ステビンズ作の水の天使が立っていた。

映画の撮影でよく使われているみたいだ
*そんな噴水を横目に、次に目指すのはイチゴこと「ストロベリー・フィールド」
中央に”IMAGINE”と刻まれたモザイクで、妻オノ・ヨーコの作品だ。
故ジョン・レノンがダコタアパートから見下ろしていた公園の一角を買い取って、彼の作曲した歌の名前を付けた、ファンの聖地とも言える場所で。
8番街を北に72St.まで上がるとジョン・レノンとオノ・ヨーコが住んでいた高級で有名なダコタ・アパートがある。

現在も小野ヨーコはここに住んでいるという。
そのアパートから見える位置の公園内にレノンを偲んだストロベリー・フィールズがある。
斜めにダコタアパートを望むその場所は、ひっそりとした公園の名所

「 しかし・・・  公園の一角を買い取るとは・・・・ 豪毅ですねぇ・・・・ヨンスさん   」

「 まぁ  世界的な有名人ですからね  きっとあの花も  毎日飾られてるんでしょうね  」          

花が手向けてあり、回りで数名の女性が泣いていた。
公園内はジョギングをしている人達、ローラーボード、ローラースケートとそれぞれおもいおもいの形で汗を流していた。
サングラスめーんとローラースケート君 : NYセントラルパークと言えば、シープメドウで日向ぼっこするニューヨーカーとこれ・・・
時にはハリウッドスターや、前クリントン大統領もここを走るらしい。

「 僕の記憶違いでなけりゃ・・・あのSEPTEMBERー11の後、アメリカの何処だかの放送局で、ジョンレノの局「イマジン」を巡って、ちょっとした騒動があったようなんだ  」

「 イマジン:ジョン・レノンと言えばこれ・・・というくらい有名な曲で   」  
「 平和を願う歌として  世界的に  愛されていたんだね   」
「 事件に打ちのめされた  リスナー達から   」

「 ぜひ  イマジンを聞かせてくれ  というリクエストが  殺到したのが 事の始まりらしくって   」
「 その時  放送局の上層部からは ”その曲を流すな” って命令が下ってたみたいだけど   」
「 放送局の  スタッフ達は    」
「 こんな時だからこそ みんなこの歌を聴きたがっている それを命令だから流さないなんて・・・・そんな事は出来ない  」
「 って反発して  イマジンを流し続けたそうなんだよ   」

「 ふ~ん  そんなことがあったの  知らなかった   あなたって   何でもよく知ってるのね    」

「 何を言ってるのヨンスさん  僕の仕事は  こう見えても  音楽界なんだよ !!!!  」

「 あっ  そうね  しっかり  忘れちゃってたわ!!!    」

ジョン・レノンの名曲「イマジン」が思い浮かぶ。
曲の最初のフレーズは、♫ ♫ ♫「Imagine there's no heaven♫ ♫ ♫.(天国が無いと想像してごらん)♫ ♫ ♫

「 ヨンスさん  この歌詞の 無いことを想像してごらん  っていう発想が  なかなか面白いだろ   」
「 天国が無いと想像してみる  すると現世をしっかり生きなくてはという気になってくるし   」
「 逆に天国について  思いを巡らせてしまう  無いと想像することで  逆に有ったらいいな と考える  」
「 上手くいえないけれど・・・     」
「 無いのに有る      有るのに無い   」
「 空っぽになることは   空っぽにすることではない   」

♫ ♫ ♫Imagin there's no countries  ♫ ♫ ♫(想像してごらん 国境の無い世界を・・・)♫ ♫ ♫
♫ ♫ ♫It isn't hard to do ♫ ♫ ♫( そんなに難しくないよ・・・)♫ ♫ ♫




*まだまだセントラルパークには、数多くの有名な場所や物がいっぱいあって、二人は腕を組みながら歩き出した。。。  あちらこちらに落ちている、木の実を拾いながら。。。。。
・「オータム・イン・ニューヨーク」で、リチャード・ギアが歩いた銀杏並木通り
・アンデルセンの銅像
・不思議の国のアリス像・・・アリスとウサギの会話だっただろうか?
 「どっちの道に行けばいいの?」
 「どっちに行きたいんだい?」
 「どこに行けばいいのかわからないわ」
 「だったらどっちに行っても同じだね」
歴史に残る子ども向けの小説・・・? は、大人になってみて読み返すと「ハッ!!!!」とさせられることが多い。

・ジャクリーン・ケネディ貯水池・・・アメリカだと当然のように人物名が名所に使われている
・クレオパトラの針・・・エジプトっぽいなーと思ったけど、近くに行ってみたら、やっぱりクレオパトラでした何故?
・想像以上に早くまわるメリーゴーランド
などなどetc・・・
春には日本から贈られた桜の花も咲き乱れ
兎に角自然がいっぱいだ。。。。。


*そして、グラウンド・ゼロ:2001年9月11日、同時多発テロで破壊された、かつてのNY最大の建築物世界貿易センタービル(WTC)があった場所(通称ツインタワー)で、未曾有の大被害を出した、グラウンド・ゼロと呼ばれているエリア 金網上には、当時の写真や犠牲者の名前のリストのボードが・・・
破壊された世界貿易センターの跡地は、大きな穴が掘られた状態で、すっかり工事現場になっているが、再開発の計画が進んで、もうすぐ5つのビルが建つようだ。

テロに対抗するという名目で、「人、物、金」がとどまること知らずにダイナミックに動き出す。そんな時代の引き金が9.11なのかもしれない。

タイムズスクエアへ行き、BroadwayにあるBelly Dellyで昼食を取った。
タイムズスクエアでは、馬に乗った警察官ふうの人を見かけるが、あの混雑の中での騎馬。普通では考えられない。その一角では大行列ができて、安売りの切符を買う人たちだそうで、街全体が劇場とも言われているようで・・・
"

"
ここはデリでおかずやサラダのレパートリーが多くて選ぶのが楽しい、味はどれも保証つきだ!テイクアウトしたものを 景観のよい 2Fで食べた。
NYのビジネスマンの食事はデリやカフェですることが多く、デリでのオーダー方法も覚えておいた方が良いかも、デリのサンドウィッチはパンの種類、スプレッドの種類、具の種類をそれぞれカスタムメイドでオーダーし、ローストビーフ・サンドウィッチを注文したら、5センチ程度の厚さのローストビーフが薄っぺらいパンにはさまれていて、肉の塊を食べているような感じがする。


*ウォール街は、世界の金融の中心地ダ。
あの「ニューヨーク外国為替市場」とか「ニューヨーク株式市場」がある場所で、もちろん、世界恐慌の発信地だってここだ。

その正体は、ニューヨークで一番古いトリニティ教会の向かいの細い路地。
さぞ立派な大通りなのかと思えば、思っていたよりも細い通りで、道路の両脇にそびえるビルのおかげで昼間だというのに暗ったい。意外としょぼいものだ。

このストリートにいるとマネーに対する責任感が芽生えてきてしまうから不思議だ。
信用の乏しい元の流動幅が急速に進んでいるが、この元をどうやって国際マーケットの中に取り込んでいったらいいだろう?香港ドルとリンクさせて段階的に進めるべきなのか?元とドルとの交換を続ければ、いづれドルの信用も崩壊してしまう。

「 うーん  何とかしなければいかーん!!!   」 と、いきなりミンチョルの発想はグローバルになってしまった。
「 まずは  自分の  金を心配しろよ!   」 と、自分に突っ込みをいれ

ウォール街には、「世界経済を救うぞという使命感を急き立てる何か」が潜んでいるようだった。
ニューヨークのアイデンティティってのは、やっぱり摩天楼なんじゃないかと思った。


*数日後、NYマンハッタンの最南端の公園、バッテリーパークへ。
この公園にもリスがたくさんいてどうも、リスの存在がものすごく一般的なようで、そしてマンハッタンの南端だ。
セントラルパークで拾った木の実で二人で餌付けにチャレンジ!気に入ってもらえたようです胸のあたりの毛がないんだけど、もしかしたら!?

「 授乳中なのかしら?   」

*ここからフェリーに乗って、自由の女神がそびえるリバティ島へ。
クリントン砦国定記念館でチケットを買い、フェリー乗り場へ行き、フェリーを待つ客を相手に、様々なパフォーマンスをする人々が、楽器を演奏する人、アクロバットをする人、色々だ。
遠くに「自由の女神」が見え入国審査が厳重だったのを始め、美術館やビルの入り口など、ニューヨークでは至る所でセキュリティー・チェックが行われる。このフェリー乗り場は特に厳しいチェックだった。

「 ヨンスさん ツインタワーと自由の女神が崩壊するのと、どっちが世界に与える影響が大きかったと思う? 」

「 どっちもいやだわ  わたしは   」

「 それりゃ  そうだけどさ   どっちもシンボルだからね   」  

リバティ島からの眺め、リバティ島に上陸して、そのまま真っ直ぐ進むと、星条旗が掲げられている広場から、マンハッタンを一望できるようになっている。広場を右に曲がると、「自由の女神」の中に入る入口があった。

「 ヨンスさん 昔はこれを目指して  ヨーロッパからはるばるやってきただよ   」

「 これが見えたとき   どんな気持ちだったのでしょうね   わかる気がする   」

「自由の女神」の中に入るのはやめましょう!理由は中に入ればわかるよ。」と友人から忠告されていた・・・?。入口で、またもや厳重なセキュリティ・チェックを受けて中に入ると、30人くらいの小集団にまとめられ、必然的にガイドが付いてまわるようになっていた。セキュリティー上の問題なのか、お役所的体制なのか、自由の女神の中はガイドの解説を聞かなければ、移動ができないようになっている。ガイドのペースが全てなのだ。自由に中を周りたいのに、その自由が奪われ、拘束された気分になる。「自由の女神にて、自由を奪われる」という結果になってしまった。

自由の女神は、中を上ることが出来、台座まで出るコースと、王冠まで上るコースがあって台座コースはエレベータで行かれるけれど王冠コースは最初から階段で上らなければならない。ここまで来て、王冠へ行かない手は無いだろう。階段って言ったって、他の人だって登ってるんだもん。出来ないはずが無いじゃないか、王冠までの道のりは階段でざっと335段。ビルにして22階分。しかもその半分は螺旋状になったかなり急な階段で途中から狭くなってるので、これがきつい。かなり急階段なので、下手すると転げ落ちそうだ。幅だって普通の人がやっと一人通れるくらいこれを登って、さらに帰りは降りて帰ってこなければならない。王冠まで登った帰りには、足はガクガク、筋肉はぴくぴく状態になり、翌日はひどい筋肉痛で、まともに動けなくなってしまうほどだ。・・・ヨンスには、とてもムリだ。

王冠の一番てっぺんまでいきたかったが、エレベーターで楽に行ける台座コースにし、王冠のてっぺんの部分は、展望台になっていて、周囲を見渡すことが出来るらしいが、ただし、狭いので10人くらいしか入れずに長居をすることは出来ないらしかった。2階部分は、博物館になっていて、建設の課程や、移民の歴史を見ることが出来た。

ガイドの得意げな解説を聞いていたら、
「自由の女神について、何か知っていることはありますか?」
と、質問が飛んできた。

「 自由の女神は  フランスがプレゼントしたんでしょ   」 と、ミンチョルはすかさず発言。

そうなんだよね。1884年にアメリカの独立100年を祝して、フランスが「自由の女神」をアメリカに贈ったんだ。
パッ !!! と思いついたんだけど、フランスといえば国旗が示すとおり「自由・平等・博愛」の国。

なぜ「"自由"の女神」をアメリカに贈ったのか?「"平等"の女神」や「"博愛"の女神」がいてもいいはずだ。
1884年といえば、列強がひしめく帝国主義の真っ只中。弱肉強食の時代。アメリカも沸々と海外侵略を進めている。こういう背景を想定すると、フランスがアメリカに「自由の女神」を贈る行為は外交手段以外には考えられなくなる。
「アメリカの独立100年を祝して」なんていうのは建前にすぎない。
米大陸発見以来、アメリカとフランスは植民地を巡って常に対立していたわけだし、ヨーロッパはイギリスとフランスとドイツの対立が続いていた。もしアメリカがイギリスやドイツと手を結び、大西洋を渡ってフランスを突くとなったら、ひとたまりもなかっただろう。
世界史を勉強していて「米仏同盟」という用語が無いのが不思議だったのですが、ここで納得しました。「自由の女神」という像を贈ることによって、暗黙の「米仏同盟」を結んだのでは・・・?
「自由の女神」がある限り、アメリカとフランスは未来永劫、戦争をする気がしません。こういうのを「国家100年の大計」というのだろうか?
当時のフランスの大政治家といったらクレマンソーだ「自由の女神」は、彼が考えだした外交政策だったのだろうか?

自由(資本主義)を実現するための実験国家だったアメリカに対しては「自由の女神」、平等(共産主義)を実現するための実験国家だったソ連に対しては「平等の女神」を贈る。この外交政策によって、「お互いに戦争をすることはまず有り得ないだろう」という共通認識を作り出す。本当に壮大な計略だ?。
この「お互いに戦争をすることはまず有り得ないだろう」という共通認識を作り出すこと。まさにこの一計が、世界平和を実現する最も有効な手段であるに違いない?。

■自由の女神に関するトリビア

・自由の女神の作成には、エッフェル塔で名を知られる建築家エッフェルが関わっている。
・自由の女神はフランスから送られたものだが、その後フランスにも小さい自由の女神が作られている。
・日本の、お台場にも自由の女神があるが、これは日本とフランスの友好を記念して1998年に作られた。

ところで全然関係ないけど、何でキリスト教のアメリカが、「自由の女神」なんてものを後生大事に街のシンボルにしているのだろうか。
キリスト教的には、偶像崇拝も唯一神以外の神も許せないんじゃないんだろうか?

と思ってよく考えると、英語ではStatue of Libertyで、自由の銅像。
どうも勝手に日本人が女神と呼んでいるだけのようだ。
あくまであれは「自由の象徴」なのだろう。
事実、あの像の正式名称は「Liberty Enlightening THE World」つまり「世界を照らす自由」という名前だそうだ。

ググってみると、あれは元々黒人奴隷の自由化の象徴だとか、いろいろ出てきて結構奥が深そうだ。


*ツインタワーが消えたことにより、NYで一番高くなったエンパイアステートビルが現在マンハッタンのシンボルのようにそびえているのを考えても、このツインタワーが消えたことがNYにとってどれほど痛手だったかが

ツインタワーが出来るまでは、世界で最も高かったエンパイアステートビル。
世界恐慌の頃に2年ぐらいでできたくせに、地上102階建てのエンパイアステートビル。
エレベーターが 75個もあるエンパイアステートビル。エレベーターでビルに登った。

途中、80階あたりでエレベーターを乗り換えて86階の展望台へ。
エレベーターを乗り換えるフロアは長蛇の列が出来る仕様になっている(行列用に道がうねっている)のだが、この日はものすごく空いていて何事もなく素通りできたが、ちなみにここでは無理やり写真を取らされて後で売りつけられる。それはそうと、この乗り換えフロアで銃乱射事件があったらしい。くわばらくわばらダ。
そんなこんなで、展望台へ。
なんと、86階は外に出られるのである。86階なのに。。
広がる外に一歩踏み出し、息を呑む!!!!!。

これは…すげぇ!!!!!。
まさに百万ドルの夜景が広がっていた。
こんなに高い建物は無いし、こんなに無数のビル群は存在しない。
摩天楼のひしめく大都市マンハッタンだからこそ生み出せた、奇跡的な夜景だ。
銀河のど真ん中に放り出されたような、視界の全てが光で埋め尽くされる幻想的な世界だ。
これは、言葉で語るよりも実際に見ないと分からないかもしれない。・・・僕たち二人にしか!!!。

風が強かった。でも、全方向をしっかり見て、西北西の方角で、イースト・リバーやクライスラー・ビルが見え
北北西の方角で、正面に、セントラルパークが少し見え、右手の通りは、5番街。左の川は、ハドソン・リバーで、逆方向、はるか遠くに、自由の女神が見えた。


*明日はもうニューヨークを飛び立つ日だ・・・タクシーをチャータして市内をゆっくりと観光巡りした・・・
あ、ティファニーの本店だわ!!!! を通って、6階建てのビルで、デカすぎダ!!!!!!。
三番街52丁目のメッツのクラブハウスも、メッツの、シェイスタジアム球場も。

ヤンキースタジアムの球場の周りは、当然のことながら人でごった返していた。
警備員というか警官も相当数うろついている。ダフ屋も多いようだが、最近はコピーを使った詐欺が流行っているらしく、信用ならないらしく、ものすごい勢いで儲かるらしいコピー詐欺。
球場の近くには、ヤンキースグッズやホットドッグなどを売っている出店がたくさん出ていて、だが、オフィシャルなショップには、入れない。普段は入れるような雰囲気なのだが、閉鎖されているようだ。ガラス張りなので、外から中は見れるし、中に小さなテレビがあるから試合内容を観れるは観れるのだが。ただ、大スクリーンの画面が球場の側に置いてあって、みんなで応援するといったような状況を想定してたのだが、残念ながらそうでもないらしい。


ミンチョルはニューヨークでの数社に渡る仕事の提携先との、商談や契約は全て滞在先のホテルのミーティングルームの1室を借り切って、用意周到、磐石に進め無事終了しおえていた。ひととうりの予定をおえ、重要書類や写真やビデオの撮影済みテープも相当な量になって来ていた。・・・エアー便で韓国へと送った。

そして、アッという間にすぎてしまった10日間楽しんだニューヨークマンハッタンでの滞在先、ウェスティン ニューヨーク タイムズスクエアホテル(WESTIN NEW YORK TIMES SQUARE (NYCWTTS))のチェックアウトをし、JFK国際空港へと向った。

「 ヨンスさん   ニューヨークは  どうだった ?   」

「 ゆめ  そぅ  夢の中に  いる感じよ  わたしだけの   あ ・ な ・ た !!!  」  ( ̄ε ̄@)ぶっちゅ~



照れるぜ ((* ̄ー ̄*)((* ̄ノ。 ̄*) オーッホッホ!!(// ̄ー ̄//))ゞ にや!!! ニヤ!!!!


空から眼下に見える巨大なニューヨークの街並に別れを告げ、次の行き先ボストンへと。。。。。。。。。。。


  “ Thank you and see You again someday .”   ・・・・・またくるからね~  二人で.......

    We~


** そ *** れ *** で *** は **** 創作続編 26話パート(3) * E N D *

Continued on the following page. ・・・???

  by raymirainya | 2008-12-16 14:59 | 創作続編26-3

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